西表島・干立の節祭 2023  作成 2023.02.19

1.節祭概要

 国の重要無形民俗文化財に指定され、500年の歴史があるといわれる西表島・干立(星立)と祖納集落の節祭(シチ)が、2023年10月8日から10日の3日間行われました。
 干立と祖納は西表島の中でも最も古い集落の一つですが、節祭は農民の正月とされ、これまでの1年間の豊作に対する感謝と翌年の五穀豊穣、住民・集落の繁栄、無病息災が祈願される西表島内最大の伝統行事です。祭りには地元住民は勿論のこと、多くの地元出身者が里帰りをして参加して、祭りを盛り上げます。

 なお、2020年〜2022年は、新型コロナウイルス感染拡大防止のため干立の節祭は関係者のみで執り行われ、一般見学禁止となっていました。2023年は実に4年ぶりの通常開催となりました。

 ここでは、干立集落の節祭2日目(10月9日)のユークイの様子を紹介します。

国指定の重要無形民俗文化財指定の碑

 節祭(シチ)とは、季節の折り目や年の折り目(節目)を意味し、海の彼方より幸を迎え入れる行事で、その年の豊作の感謝と五穀豊穣、健康と繁栄を祈願する祭りで、八重山の各地で行われています。
 毎年旧暦10月前後の己亥(つちのとゐ)の日から3日間行われます。
 
 干立の節祭は3日間執り行われますが、
 1日目がトゥシヌユー(年の夜=大晦日)と呼ばれ、翌日からの準備などが
 2日目が新年の祝いである世乞い(ユークイ:神を迎える神事)で、
      儀式や様々な奉納芸能が「前の浜」や「干立御嶽(フタデウガン)」などで披露され、
 3日目のツヅミではムトゥウガンの近くのウイヌカーで水恩感謝の儀式が行われます。
 このなかの特に2日目の世乞い(ユークイ)には観光客が見学にも訪れ賑わいます。

 
 干立の節祭は、一年間の諸々の行事(結願祭などが含まれます)を総合して、干立部落の前の浜(洗い清められた砂浜)と干立御嶽内で挙行したのが起源となっているそうです。

  【石垣から当日見学する場合について】
 石垣⇒上原航路の乗船後、上原⇒白浜間の送迎バスを利用する場合には、乗船券購入時に送迎バスを利用する旨申し出て、必ず「乗車券」を受け取るようにして下さい。この送迎バス「乗車券」が無いと乗車できない場合があります。

 なお、天候不順により石垣⇔上原航路が欠航した場合には、石垣⇔大原航路を利用することとなります。
 その際 「送迎バス」にて大原→上原〜白浜間(西表西部地区)を利用する場合は、石垣⇔上原間の乗船券を買い求めることとなります(送迎バス利用券が付いています)。
 上原航路欠航時の安栄観光ならびに八重山観光フェリーの無料送迎バス運行時刻表は、それぞれのHPを参照して下さい。
 いずれも、石垣⇔大原間の乗船券だけでは、この大原→上原〜白浜間の送迎バスを利用することはできませんので注意して下さい。
 バス乗車時には「干立で降ろして下さい」と運転手さんに伝えて下さい。そうすると干立集落バス停(標識などの目印となるものはありません)で降ろしてもらえます。
 また戻りは
来た時と同じ安永観光の干立集落バス停(標識などの目印となるものはありません)でバスを待ちますが、バスが着たら必ず手を挙げて止まってもらうようにして下さい。ただ立っているだけだとバスが素通りする可能性がありますのでくれぐれも気をつけて下さい。(以上は西表島で送迎バスを利用する際のルールと思って下さい。)

【その他】
※ 干立集落の会場周辺に商店や飲食店はありませんので、注意して下さい。
   必要ならば、前もって離島ターミナルなどで食料を調達しておくことをお勧めします。

※ トイレは干立公民館内のものを利用して下さい。

2.干立の節祭(2023)ユークイのタイムスケジュール


 2023年の節祭2日目[世願い(ユークイ)]のタイムスケジユール(日程表)は以下の通りでした。
 なお、スケジュールは潮の満ち引きにより変わるため、毎年一定ではありません。(因みに2023年10月9日は旧暦8月25日、西表の満潮は16:43でした。) 加えて予定はあっても実際に開始される時刻はその日の状況によって大きく変わる場合もありますのでご注意下さい。

時刻  行事内容
5:00  ドラ打ち
8:30  会場設営
10:45  公民館集合
11:30  舟抽選
12:00  公民館出発(旗頭)
12:30  ヤフヌティ
13:15  パーリャ(舟漕ぎ)
 14:15  式典・奉納芸能
    一番狂言の天上天拝
    アンガー踊り、ダードゥリッダー
    二番狂言:川平早使い
    三番狂言:牛追い狂言
    棒術
    ミリク加那志
    オホホ
    獅子舞
15:45  トゥリムトゥ
17:45  スリズ(公民館)・ツヅミ

泡盛(八重泉・請福)の
「干立の節祭2023」記念ボトル

【余談】
 西表島・祖納集落でも同じ日に節祭が行われます。
 干立・祖納間は約1km、徒歩で約15分かかります。年によっては(干立の節祭の奉納芸能が終わってから隣の祖納地区に移動して)両集落の節祭の奉納芸能を見学できる場合もあります。
 因みに干立地区は満潮に合わせてパーリャを行うため年によって開始時間が変わりますが、祖納の開始時刻は午後からと決まっています。2023年のようにスケジュールが重なると(双方の節祭が午後から開始されると)、いずれか一方しか見学できません。
 残念ながら1日で干立・祖納の双方の節祭(ユークイ)の全ての行事(奉納芸能)を見ることはまずできません。(前述のようにスケジュールが合えば一部を見ることは可能です。) 従ってユークイの日の双方の奉納芸能を全て見るには最低でも2年はかかります。
 なお、節祭が開催される日は小浜島の結願祭の開催日とも重なります。

3.干立の節祭の開催場所(地図)




4.干立の節祭2023の様子
 
 2023年の干立集落の節祭2日目(10月9日)当日は、石垣港8:30発の安永観光の上原行きの高速船(定期便)に乗り、上原港で送迎バスに乗り継ぎ干立に向かいました。(2023年は「節祭鑑賞セット乗船券」の販売は行われませんでした。)

 高速船は上原港に9:20頃に到着、送迎バスは9:30頃に港を出発、約1時間乗車し安永観光の干立集落バス停(標識などの目印となるものはありません)には10:30過ぎの到着となりました。そこからは会場となる干立御嶽の境内まで歩きました。

安永観光の送迎バスから降り、会場へと向かいます。これは集落内の様子です。時刻は10時40分頃です。 諸準備は干立公民館で行われます。
公民館の入り口門方向の様子を敷地内から写したもの。 会場の干立御嶽の境内広場。公民館の隣に位置します。
浜から会場を眺めた様子。 浜に置かれたパーリャ(舟漕ぎ競漕)に使われる舟。

旗頭が公民館を出発します。

旗頭が浜に下りていきます。時刻は12時過ぎです。 2本の旗頭のうち一つの旗文字は「東」。 もう一つの旗文字は「永光」。
     

ユークイの始めは「前ぬ浜」を舞台にし、男女の演者が櫂を持って踊る「ヤフヌティ(櫂踊)」が奉納されました。

浜の南側からまずはアンガー(女性達)が入場します。時刻は12時20分頃です。 アンガーに続いて船子(男性達)が続き、最後尾にトゥーチ(船頭)が進みます。
ヤフヌティの始まりです。
アンガーは陸側、船子は海側にそれぞれヤコ(櫂)を持って一列に並び、トゥーチは列の後ろにつきます。トゥーチの合図で舟漕ぎの所作を始め、ヤコが揃ったところで、ゆっくりとヤフヌティの唄を歌い始めます。
列の北側(先頭)では棒術(薙刀)も演じられます。
ヤフヌティの唄は節祭を行える喜びや五穀豊穣の祈願・神々の御加護を待ち望むものだそうです。
後方(西側)は祖納集落です。
祖納でも節祭が行われているところです。 
      
 

歌い終わると薙刀を持った少年が隊列を駆け抜け、また戻っていきます。これを3回繰り返しますが少しずつ隊列は前に進み干立御嶽の近くまで移動します。
 

次は「パーリャ(舟漕ぎ競漕)」が始まります。

アダンの葉で舟を清め、船子が乗り込むとヤコを垂直に立て、フニヌジラバを歌います。 浜の様子です。
ニライカナイ(海の彼方)から世果報(幸せ)をもたらすというパーリャは、2槽の船で2回行われます。
ホラ貝の音の合図とともに競漕が始まります。初めの(1度目)の競漕は神様に奉納する神事の舟漕ぎ(ウガンパーリャ)だそうで、浜から真っ直ぐ沖に行って折り返してきます。

なお、干立のパーリャは毎年満潮に向かう時間に合わせて行われます。時刻は13時15分過ぎです。
パーリャの最中、浜辺に残った女性達は、「サーサーサーサー」とかけ声をし手招きをする「ガーリー」という舞を行います。   ガーリーはニライカナイから幸福を呼び寄せるという意味もあるそうです。
 

舟が戻ってきました。 ガーリーの「サーサーサーサー」というかけ声も一層大声になります。
  1回目は東が勝ちました。先に到着した男衆達は勝利した喜びを腕を大きく上げ表わします。

余興の意味合いのある2回目のパーリャ(余興パーリャ)がスタートします。今度は相当長い距離を競います。 まずは沖に向かいます。
続いて、右(北側)に向います。 そして右手にある離れ小島を周ってきます。
その後、沖に進んでから浜に戻ってきます。 長い競争の間、女性達はひたすらガーリーを舞い、声援を送ります。
2回目の競漕はドラの音とともに終わりを告げました。舟は浜に引き上げられます。 そして参加者全員でガーリーを舞ってパーリャは終了しました。

ここからは庭(干立御嶽の境内)の奉納となります。

確か竹富町長の来賓祝辞。
奥には神司の後姿が見え、さらにその奥には御嶽のイビ門が見えます。
確か、在石垣郷友会長(?)の挨拶。
時刻は14時半過ぎです。
まずは一番狂言(キョンゲン)の「天上天拝(ティンチョウティンパイ)」
     

続いては、「アンガー踊り、ダードゥリッダー」です。

祭りの主役とされるトゥーチ(船頭)の4人を中心に、その周りを取り囲むアンガー踊り(アンガーの巻き踊り)が披露されます。 アンガー踊りは独特な歌と仕草です。
4名の男女のトゥーチ。
4名の男女のトゥーチが時計回りに太鼓を鳴らしながら歌い、それに合わせて、大勢のアンガー達が反時計回りにゆっくりと演舞を行います。
 
このアンガー踊りでは4つの歌が奉納されるため、かなり長時間となります。 巻き踊りの最後はアンガーが飛び跳ねる、ダードゥリッダーという干立集落独特の舞で締めくくられます。
    どことなく中国的な踊りのようにも思われます。 
 

続いては「二番狂言」・「三番狂言」です。

まずは二番狂言の「早使い(ハヤチカイ)」です。  馬にまたがった格好で演じられます。両足に挟んだ櫂には馬の絵が描かれています。

次に三番狂言の「牛追い狂言」です。 

次は「棒術」です。

最初は子供たちによる奉納です。まずは槍同士の戦い。
続いては棒同士の戦い。
次も棒同士の戦い。
こちらは2人の棒と鎌の、3人での闘いです。
子ども達の演技ですが、相当迫力があります。かなり練習したものと思われます。

ここからは大人による演技。これは鎌と薙刀の戦い。
 
櫂と薙刀の闘い。
薙刀&鎌&櫂の3人での闘い。 
若者3人による闘いは迫力があります。

続いては豊穣をもたらすと言われる「ミリク加那志」が「弥勒節」に合わせてゆったりと登場します。

ミリク様の袖持ちは薙刀を持った少年(他地区は少女)です。時刻は16時頃です。 その後には、まずアンガーが続きます。
その後には棒術の若者たち・トゥーチが続き広場を練り歩きます。行列の前後に薙刀や棒持ちがつくことから、外敵から集落を守る姿勢を示すもので、後で登場する「オホホ」の存在と関連があるという説もあります。    
 
ここのミリク様は独特な顔だちです。「苦労と切なさからにじみ出る笑顔」という表現もあるようです。
ミルク様のお顔のアップ。実に独特です。

ミリク様の行列が境内を回っているところで突然、「オーホホホホホ…」という甲高い笑い声が会場に響き渡り「オホホ」が登場します。

時刻は16時5分過ぎです。 「オホホ」は背中に大きな袋をしょっています。
行列や観客の女性にしきりに取り入ろうとするような仕草を繰り返します。 また、腰を振るユニークな仕草で境内をまわります。
 
「オホホ」は目の彫りが深く、高い鼻に長いヒゲをたくわえ、異国人風のブーツをはいた奇妙な格好をしています。言葉が通じず明らかに島の人とは違う風貌から、一説には、昔、島に流れ着いた外国人(西洋人)を表わしているのでは?とも言われています。
「オホホ」は、『この村の豊かさは、お金ではなく子孫繁栄である』ということを現しているそうです。また「オホホ」は、お金よりも子供が大切だと教え、一致団結すれば、たとえ異国の人でも怖くはない、ということを伝える芸能になったという説もあるそうです。
ミリク様と「オホホ」の2ショットです。   「オホホ」は子どもや女性を手招きして誘い、会場から笑いを誘います。 
 
  ここでミリク様は退場されます。 

「オホホ」は背中に大きな袋をしょっています。 その袋を下ろし中から札束を取り出します。
「オホホ」はその札束を見せびらかし、それを投げると子どもたちは大喜びで拾い集めます。この「オホホ」がばらまくお札はとてもよくできた「一億円札」です。 お金を見せつけ子どもや女性たちを誘い、連れ去ろうとしますが相手にされません。「オホホ」は、人心をたぶらかす悪い神様だから相手をしてはいけないと言われているようです。
連れ去ろうとする子どもや女性たちを探します。   最後は女性に引き連れられ退場します。
 

続いては「獅子舞」です。

この獅子舞が最後の奉納芸能です。獅子は悪霊や亡者・災害・厄を払ってくれる百獣の神として尊崇され、行事の終わりに座を清めるために登場します。時刻は16時20分頃です。 通常獅子舞は雄雌2頭で行われますが、なぜか昔から干立では獅子1頭で行われます。
笛の演奏者達。節祭では基本的に三線は使われません。 獅子は一旦退場し、再登場します。
勇壮に厄を払ってくれます。    一人の女の子が出てきて獅子に近づきます。 
 
そして女の子は獅子と一緒に遊んだ後、退場します。こうした獅子舞は他の地域で見られないものです。
時刻は16時半頃です。
  

ここで石垣島に戻る最終便の高速船に接続する上原港行きの送迎バスの時刻が迫ってきたため見学を中断し帰路につきました。以上、2023年の干立の節祭見学でした。 
 
なお、この後、会場では公民館長の閉会の挨拶が行われ、その後は旗頭を先頭に皆は「前ぬ浜」の防波堤を経由してトゥリムトゥ[*]へ移動します。

(注) トゥリムトゥ[*]
 トゥリムトゥは、干立村が今の場所にできたときに、 最初に住みはじめた家のことだそうで、「フタベ家」「・カイレ家」が干立村のトゥリムトゥです。節祭や豊年祭では、トゥリムトゥへ行き、祖先に対しての奉納芸能や儀式・礼拝を行ないます。


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