石垣島の石碑・説明看板(市街地-3)  更新 2024.01.28

今回は、No.13の追加を行いました。

ここでは石垣島の市街地(新栄町・美崎町・浜崎町)にある石碑・説明看板について紹介します。

No. 名 称 場 所
1. World Peace Flameの碑 新栄町
3. 世界平和の鐘 新栄町
5. 戦争放棄の碑 新栄町
7. 石垣市核廃絶平和都市宣言 新栄町
9. 宮良當壯の碑 新栄町
11. 新八重山音頭の碑 新栄町
13. ひたちなか市・石垣市 友好市民交流の碑 新栄町
15. 徳川家康六十歳像 新栄町
17. 親善之碑* 新栄町
19. 大鷲像* 美崎町
21. 石垣市民憲章 美崎町
23. 石垣港・花蓮港 姉妹港締結記念碑* 浜崎町
25. 宮良長包記念像* 浜崎町
No. 名 称 場 所
2. 石垣市・蘇澳鎮姉妹都市締結経緯碑 新栄町
4. ほほえみの鐘* 新栄町
6. いしがきアピールモニュメント 新栄町
8. 非核平和宣言都市の碑 新栄町
10. 石垣市非核平和都市宣言 新栄町
12. 弾痕の残る壁 新栄町
14. 雪見灯篭の説明碑 新栄町
16. 仲よしの像 新栄町
18. 730(ななさんまる)の碑* 美崎町
20. 大鷲の像公園の由来 美崎町
22. 蘇澳鎮 石垣市 友好親善之碑* 美崎町
24. ふるさとの風にのせて 浜崎町
26. 大浜安伴生誕百年顕彰碑 浜崎町
 

地図1

1.World Peace Flame

World Peace Flameの碑
World Peace Flame
石垣島 炎の祭典
  2000年7月15日
Life Foundation (英国)
Dr Mansuku Patel



この碑は新栄公園内にあります。
2000年のサミット開催に合わせ「炎の祭典」が開催されたことを記念するものです。

2.石垣市・蘇澳鎮姉妹都市締結経緯碑

石垣市・蘇澳鎮姉妹都市締結経緯碑


同一部拡大


碑 遠景
【上部左側】
石垣市・蘇澳鎮姉妹都市締結経緯
都市名 蘇澳鎮(台湾)
締結日 平成7年9月26日(1995年)

蘇澳鎮 概要
 台湾東北部太平洋側に位
置し漁業が盛んである。蘇
澳港は台湾3大漁港の一つ
で冷凍食品加工業が盛ん。
発泡性の冷泉はイタリアと
蘇澳鎮のみで冷泉祭が有名。

締結の経緯
 両市は歴史的には、古い時代から双方の漁民の往来が頻
繁に行われていた。また、戦時中に台湾に疎開していた八重
山の人々が蘇澳港から引き揚げる際に、蘇澳住民の世話に
なったという深いつながりがある。さらに、台湾との交流は
戦後、本市の嵩田地区を中心に集団移住がなされ、パインア
ップルの種苗と水牛の導入が図られ本市の基幹産業の振興
に大きく寄与した。
 1982年、蘇澳鎮青年商会と八重山青年会議所の間に姉妹
締結がなされて以来、人的、文化的交流を重ね相互交流が深
まる。その後、行政レベルでの交流も始まり、気候、風土、産
業等の類似点も多いことから、1995年9月にチャーター便
による国際線にて蘇澳鎮を訪問、姉妹都市締結盟約書に調
印がなされた。

【上部右側】

姉妹都市提携20周年にあたり
双方の更なる交流発展を祈念し
ここに記念碑を建立する。

【下部】
蘇澳鎮・石垣市姉妹都市提携20周年記念
宜蘭縣蘇澳鎮    沖縄県石垣市
鎮長 陳金麟    市長 中山義隆



この碑は、新栄公園内にあります。

3.世界平和の鐘

「世界平和の鐘」の碑文


世界平和の鐘
世界平和の鐘
 昭和29年(1954年)に戦争の悲惨さ、核廃絶、平和の尊さを訴えて、65カ国のコインやメダルなどで鋳造された「世界平和の鐘」は、日本から米国ニューヨークの国連本部に寄贈されました。
 世界の人々が「平和」を祈り、「平和」を考える日になることを願い、毎年国連総会開会の日-「国際平和の日」に全世界に向けて国連事務総長が鐘打します。
 世界の恒久平和は、美しい自然・かおり高い文化を誇る日本最南端の都市に住む私たち石垣市民のすべての願いです。
     昭和63年12月10日設置
     「世界平和の鐘の会」沖縄県支部



日本では、「世界平和の鐘」の第1号鐘が日本最北端の稚内市に設置され、第2号鐘が、日本最南端の石垣市(新栄公園)に設置されています。

4.ほほえみの鐘

ほほえみの鐘の碑文


ほほえみの鐘
ほほえみの鐘
「世界平和の鐘」が設置された昭和63年(1985年)に、「ほほえみの鐘」も併せて設置されました。
 この鐘は「非核平和都市宣言」をした石垣市民の善意によって設置されたもので、未来を担う子ども達の幸せとすこやかな成長・世界の永遠の平和の祈りが込められています。
 私たち石垣市民は、市民ぐるみの子育てと平和を求める運動を進め、市民一人ひとりのたゆまぬ努力を誓います。
昭和63年12月10日設置
「世界平和の鐘の会」沖縄県支部



この鐘は、市民の募金活動で建立されました。大型の世界平和の鐘に手の届かない幼児などに配慮し、鐘のロープを低い位置に設定、家族で鐘を鳴らして平和・成長祈念ができるようにされています。

ほほえみの鐘は、新栄公園内にあります。、「世界平和の鐘」と併せて設置されました。

5.戦争放棄の碑

戦争放棄の碑


同 側面


戦争放棄の碑の裏面
[表面]
戦争の放棄

日本国憲法
第2章 戦争の放棄
第九条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

[裏面]
 憲法九条は、日本と世界の平和及び安全の道標であることを確信している。しかし、内外の諸情勢にはいぜん厳しいものがある。よって私たちは迷うことなく「憲法九条の碑」をここに設置し、改めて内外にその意義を闡明(せんめい)にする。
          2004年11月3日
     「憲法九条の碑」設置石垣市民の会
       会   長  森田孫榮
       デザイン  湖平正道
         書    豊平峰雲



この碑は、新栄公園内にあります。
裏面には鳩が彫られています。

6.いしがきアピールモニュメント

いしがきアピールモニュメント碑文


モニュメント全景
私たちのまち石垣市はエメラルドの海、コバルトブルーの空に囲まれ、年平均気温24.2度、年平均湿度が78%で温暖多湿な亜熱帯海洋性気候です。日本列島の最南端にあって、アジアのみならず広く太平洋に開かれた枢要の位置にあります。この小さな島がアジアの十字路として、地理的優位性とともに、様々な人、物、情報、文化の出会いを求めながら、国際拠点都市を目指し、国際社会に対応する魅力あふれるまちづくりを進めています。 我々青年会議所は、この地を訪れる方々に「出会えば皆兄弟」の精神でお迎えし、21世紀を担う私たちコア世代は新たな「ゆいまーる」(たすけあい)の心を構築し、地域とともに協働運動で「明るい豊かな社会」を目指しながら、この八重山諸島を国内外へアピール致します。
                              1998年3月25日 社団法人 八重山青年会議所
除幕者
石垣市長 大濱 長照       (社)日本青年会議所      1998年度  会 頭 新田 八朗
(社)八重山青年会議所      (社)日本青年会議所 沖縄地区協議会  会 長 仲宗根 康人
1997年度 理事長 新 賢次   (社)日本青年会議所 沖縄ブロック協議会 会 長 上原睦人
1998年度 理事長 大城 一能 アピールモニュメント建設実行委員会   委員長 西玉得 敦
このモニュメントは、多くの石垣市民のご協力を得て建立いたしました。



このモニュメントは、新栄公園内にあります。

7.石垣市核廃絶平和都市宣言

石垣市核廃絶平和都市宣言の碑 [表面]


[裏面]
石垣市核廃絶平和都市宣言
 私たち石垣市民は、第二次世界大戦の広島と長崎で原爆の恐ろしさ、悲惨さ、残酷さを知りました。
 そして、沖縄戦や八重山戦争マラリアでは何十万もの尊い命が奪われたことも決して忘れてはいません。
 私たち石垣市民は、地球上からあらゆる戦争やテロがなくなることを願い、全ての核兵器の廃絶と世界の恒久平和を希求します。
 また、人類の存在を脅かす核兵器の開発につながる一切の核実験の禁止を切望し、同時に原発に頼らない社会を実現します。
 私たち石垣市民は、次の世代も、またその次の世代の子どもたちも安心して住み慣れた土地で幸せに暮せるよう核兵器廃絶を強く訴え、世界一平和で幸せなまちを目指す石垣市から「核廃絶平和都市」を宣言します。
      平成二十三年(二〇一一年)十二月二十七日制定




Ishigaki Peace City Declaration calling for the Abolition of Nuclear Weapons

We, the citizens of Ishigaki , have learned the horror, misery, and cruelty of the atomic bombing through Hiroshima and Nagasaki during World War Ⅱ.
Moreover, we will always remember that hundreds of thousands of precious lives were lost in the Battle of Okinawa and due to the malaria in the Yaeyama War.
We, the citizens of Ishigaki, pray that all wars and terrorism will disappear from the Earth,
and we long for the total abolition of nuclear weapons and the realization of lasting world peace.
We also aspire to see a global ban on nuclear tests that may lead to the development of nuclear weapons, the greatest threat to mankind, and strive to realize a society independent of nuclear energy.
We, the citizens of Ishigaki, strongly appeal for the abolition of nuclear weapons to ensure that children and future generations can live in their hometowns feeling safe. Ishigaki City aims to become the world's happiest city and hereby declares it to be a "Peace City calling for the Abolition" of Nuclear Weapons"
 Establishment : December 27, 2011



この碑は、新栄公園内にあります。

8.非核平和宣言都市の碑

非核平和宣言都市の碑


非核平和宣言文


裏面より碑全景
[表面]
石垣市
非核平和宣言都市
The City Which Declares Nonnuclear Peace

[裏面]
 人類の生存と平和をおびやかす核軍備を人類社会から追放、廃絶させ、真の恒久平和を確立することは、全世界の人々がひとしく希求するところである。
 しかしながら、通常兵器はもとより、核兵器による軍備拡大競争、並びに世界各地における局地的紛争は依然として続き、世界情勢は一段と厳しく憂慮すべき事態にある。
 このことは、我々がかつて経験した太平洋戦争の悲劇を忘却した暴挙であり、国際協調と平和を理念とするわが国憲法の精神、並びに地方自治の本旨からして看過できない。
 従って、平和で豊かな自然文化都市を目ざす石垣市は、わが国憲法の崇高な理念に基づき、非核三原則の完全実施を求めるとともに、平和を愛する全世界の人々と相携えて、すべての核兵器の廃絶を強く訴え、ここに石垣市が永久に非核平和都市建設に邁進せんことを高らかに宣言する。
  1984・3・29 宣言



この碑は、新栄公園内にあります。

9.宮良當壯の碑

宮良當壯の碑(表面)


同 (裏面)


碑の全景


碑の側面

 宮良當壯は、明治二六年(一八九三)一二月一日現在の石垣市字大川で生まれ 昭和三九年(一九六四)三月一日七〇歳で天寿を全うした 八重山島高等小学校を卒業し明治四二年七月 一七歳で出郷 那覇で人力車の後押しなどをして旅費を工面し上阪 帝国吃後矯正会に入って生来の吃音矯正に努め かたわら音声学を学ぶ その後上京し新聞配達や納豆売りなどをして明治四四年八月郁文館中学校二年に編入学し 大正八年國学院大学に進学 前田太郎 金田一京助 折口信夫に師事し方言学や民俗学を学んだ 卒業後は柳田國男の推挙で宮内省図書寮に勤務 芳賀矢一 上田萬年 新村出 市河三喜らの推薦によって大正一四年から帝国学士院より研究費補助を受け 昭和二一年まで国際音声記号を用いて前人未踏の全国方言調査研究に従事した 昭和一八年には図書寮編修官を辞し 日本方言研究所を創設して所長となり 方言の調査研究に専念 その研究業績が認められ 昭和二八年一二月「琉球諸島言語の国語学的研究」で 母校の國学院大学から文学博士の学位を受けた 昭和二九年武蔵野女子学院短期大学国文化主任教授となり 後進の指導育成につとめた
 當壯は、生涯を方言研究一筋に打ち込み 苦学力行の末 遂に「採訪南島語彙稿」「日本方言彙編」などの全集二二巻を著し 日本方言研究に先駆的な業績をのこした
 ここに 生誕百年に当たり 博士の不朽の偉業を讃えるため 内外の有志の浄財をもってこの碑を建立した
  平成五年(一九九三)一二月一日
  宮良當壯博士生誕百年記念事業期成会



この碑は、新栄公園内にあります。

10.石垣市非核平和都市宣言

石垣市非核平和都市宣言の碑 [表面]


[裏面]
石垣市非核平和都市宣言
 人類の生存と平和をおびやかす核軍備を人類社会から追放、廃絶させ、真の恒久平和を確立することは、全世界の人々がひとしく希求するところである。
 しかしながら、通常兵器はもとより、核兵器による軍備拡大競争、並びに世界各地における局地的紛争は依然として続き、世界情勢は一段と厳しく憂慮すべき事態にある。
 このことは、我々がかつて経験した太平洋戦争の悲劇を忘却した暴挙であり、国際協調と平和を理念とするわが国憲法の精神、並びに地方自治の本旨からして看過できない。
 従って、平和で豊かな自然文化都市をめざす石垣市は、わが国憲法の崇高な理念に基づき、非核三原則の完全実施を求めるとともに、平和を愛する全世界の人々と相携えて、すべての核兵器の廃絶を強く訴え、ここに石垣市が永久に非核平和都市建設に邁進せんことを高らかに宣言する。
昭和五十九年(一九八四年)三月二十九日 制定




Ishigaki Nuclear-Free Peace City Declaration
A common desire of people around the world is to expel and abolish nuclear weapons, which threaten the survival of mankind, from the face of the earth and establish lasting peace.
However, the arms race, including nuclear and conventional arms, and local conflicts continue, and a tougher and more alarming world situation lies ahead.
Such a world situation resulted from the fact that the tragedy of the Pacific War we once experienced has been forgotten, a fact that is almost a serious act of violence to humanity and that should not be overlooked in light of the spirit of the Constitution of Japan, the basic principle of which lies in international cooperation and peace, and the of local governments.
Therefore, Ishigaki City which aims to become to become a peaceful, affluent cultural city blessed with rich nature, calls for the full implementation of the three non-nuclear principles based on the noble principles of the Japanese constitution; therefore, we appeal, together with people in the world who love peace, for the abolition of all nuclear weapons and hereby declare that Ishigaki City will make an eternal effort toward the realization of a nuclear-free peace city.
Establishment : March 29, 1984


この碑は、新栄公園内にあります。

11.新八重山音頭の碑

新八重山音頭の碑 表面


新八重山音頭の碑 裏面
【表面】
新八重山音頭

 作詞  翁長千代
 補作詞 森田孫栄
 作曲  黒島健

一、あかい梯梧が ぱっと咲き
   そらに映えれば 若夏きたよ
  燃ゆる炎に あこがれ托し
   老いも若きも 輪になろう
  八重山 八重山の
   心を結ぶ 心を結ぶ
二、あおい海原 かがやいて
   揺れる波間に 七色珊瑚
  潮のしぶきを いっぱいうけて
   海の公園 島めぐり
  八重山 八重山の
   海すみわたる 海すみわたる
三、キビやパインを 積み込んで
   汗をぬぐえば 大本岳のすそ野
  ダムがとどろき 水巻きおとし
   牧場のサイロに 茜さす
  八重山 八重山の
   ゆたかさ拓く ゆたかさ拓く
四、月のまひるま うつくしや
   並木通りが すずしく濡れる
  ビルの谷間に ユンタも流れ
   そろい絣で 音頭とる
  八重山 八重山の
   なさけのみやび なさけのみやび
寄贈者
 石垣市大川一三五番地
 翁長 常勇


【裏面】
二千一年十月吉日建立


この碑は新栄公園内にあります。

12.「弾痕の残る壁」の碑

「弾痕の残る壁」説明碑


「弾痕の残る壁」

「弾痕の残る壁」
この壁は、もともと石垣島地方気象台(旧石垣島測候所)
にありました。建設は、戦前の1928(昭和3)年2月。
太平洋戦争当時、空襲中でも観測を続けていたことから、
米軍に狙われ、測候所南側の壁には爆撃を受けた弾痕が
数多く残りました。その後、施設老朽化に伴って壁の改
修が決まり、現地保存が困難になってしまいました。
ここにある壁の一部は、平和学習の資料となるよう、
2007年3月に移設されたものです。
  石垣市教育委員会文化財課 文責



この碑は新栄公園内にあります。

13.ひたちなか市・石垣市 友好市民交流の碑

親善之碑


碑の裏面
【表面】
ひたちなか市・石垣市
友好市民交流の碑

2003年石垣市で開催された市民憲章全国大会に参加した西野事務局長が
鳩間ファミリーの八重山民謡に感銘を受け、次年ひたちなか市の夏祭り
に招待した事がきっかけとなり市民レベルでの交流が始まり 夏には
鳩間ファミリーがひたちなか市でライブを開催し秋にはひたちなか市民
が石垣市を訪問するなど20年間交流を深めてきた

【裏面】
ひたちなか市・石垣市友好市民交流の会20周年記念
記念碑協力者 令和五年十一月
(以下氏名略)
石垣市長     中山義隆
ひたちなか市長 大谷 明


この碑は新栄公園内にあります。

14.雪見灯篭の説明碑

雪見灯篭の説明碑


雪見灯篭


遠景
 この雪見灯篭は、石垣
市と岡崎市が昭和四十
四年二月十九日親善都
市提携を宣言、以来、
両市の親善交流が続き
本年は提携二十周年に
あたり、これを記念し
て両市の永遠の友情を
願い贈るものである。
平成元年二月吉日
岡崎市長 中根鎮夫

親善都市友好記念
岡崎市制70周年記念
贈 岡崎石工業株式会社



この碑は新栄公園の西側にある公園内にあります。

15.徳川家康六十歳像

徳川家康六十歳像 表側


徳川家康六十歳像 裏側
【表面】
徳川家康六十歳像
親善都市提携
40周年記念
岡崎市
昭和21年11月7日

【裏面】
寄贈 2009.05
岡崎南ライオンズクラブ
岡崎南ロータリークラブ



この碑は新栄公園の西側にある公園内にあります。

16.仲よしの像

仲よしの像 表面


仲よしの像 裏面
【表面】
仲よしの像
親善都市
石垣市 岡崎市

【裏面】
贈 親善都市
岡崎市長 中根鎮夫
昭和62年5月吉日



この碑は新栄公園の西側にある公園内にあります。

17.親善之碑

親善之碑


碑の裏面
【表面】
親善之碑

 岡崎市長 大田光二

【裏面】
昭和四十三年八月
奥殿学区第一訪問団
 深津 釥一郎


親善之碑は、愛知県岡崎市と石垣市の友好親善都市提携を記念したもので、1969年に建立されました。戦時中、大浜に駐屯していた将兵が、戦後、八重桜会を結成して大浜小に図書を贈ったのが交流のきっかけです。同小と岡崎市の奥殿小が姉妹校の縁を結び、市同士の親善都市に発展しました。米国統治で財政力の乏しかった石垣市に対し、岡崎市は文化・福祉など多用途の建物建設を支援し、岡崎会館として市民に親しまれました。


この碑は新栄公園の西側にある公園内にあります。

地図2

18.730(ななさんまる)の碑

730の碑 [表面


同 [裏面]


【730記念碑説明版】


730交差点
【730の碑】
[表面]
730

石垣島


[裏面]
昭和五十三年七月三十日午
前六時を期して行なわれた
沖縄県交通方式変更の歴
史的事業を記念し 明るく
安全な毎日のために みん
なで交通道徳を守り 日
本一交通安全な地区にな
ることを祈念して ここに
碑を建立する
 昭和五十三年九月
 八重山地区安全運転管理者協議会


【730記念碑説明版】
730記念碑
 「730(ナナ・サン・マル)」とは、沖縄が本土に復帰して6年後の1978(昭和53)年7月30日に行われた道路交通方法の一斉変更の歴史的な日を指している。それまで沖縄県の交通方法は、アメリカ統治の名残で「人は左、車は右」であったが、この日を境に、本土と同様に「人は右、車は左」へと移行した。
 この大々的な変更は午前6時に一斉に実施され、変更前日の29日午後10時から県内は特別交通規制に入り、わずか8時間の間に県内すべての道路標識や表示の切り替え作業が行われた。
 同年9月には、この歴史的事業を記念し後世に伝えるべく、この「730記念碑」が建立された。そして、その日からちょうど30年後の2008(平成20)年7月30日、交通安全を記念して獅子を置き、碑の周辺を憩いある小公園として整備した。

 The 730 Monument (Pronounced "nana-san-maru") commemorates the day when road traffic in Okinawa underwent a historic change on July 30, 1978, six years after the reversion of Okinawa to Japanese control. Until then, traffic in Okinawa Prefecture followed the rules that existed under the U.S. occupation, with "people passing on the left and cars on the right side" of the road. This day marked the abrupt shift to the Japanese style of traffic with "people on the right and cars on the left." This dramatic change took place throughout Okinawa at 6 a.m. In preparation for the following day's change, special traffic restrictions were implemented in Okinawa from 10 p.m. on the 29th, and all the traffic signs in the prefecture were switched in just eight hours. In September that year, this 730 Monument was erected to commemorate this historic event and to ensure that this remains in the memories of generations to come.
On July 30, 2008, exactly 30 years later, a pair of Shiisa (Okinawan lion-dog) statues was placed next to the monument to pray for traffic safety, and the area around the monument was turned into a small, relaxing park.


この「730の碑」は、1978(昭和53)年7月30日の「交通方法変更」を記念し、交通安全の街づくりを祈念して建立されました。
1972(昭和47)年5月15日に本土復帰した沖縄は、ドルから円の通貨交換はしたものの、その後もアメリカ統治下時代のまま「人は左、車は右」という交通規則が行われていました。しかし、道路交通に関する条約(ジュネーブ条約:1949年制定)遵守の立場から、復帰6年後の1978年7月30日をもって沖縄県内全域で左側通行に変更されることになりました。
交通方法変更は、世界的にも例のない歴史的事業で、車のライトも全て無償交換し、石垣島では午前6時、一斉に実施されました。米軍統治で左ハンドル、右側通行に慣れていたドライバーも、切り替え当初はなかなか慣れるのに大変だったようです。また、公共交通機関の一つであるバスは、乗降口を車両の右側から左側に変更するなど、その対応も大変だったようです。
なお、青・白・赤のシンボルの絵は、右から左へと交通方法の変更がなされたという意味を表しています。


この碑のある交差点は、通称「730交差点」と呼ばれています。

19.大鷲像

大鷲像(表面)


同(裏面)


同(側面1)


同(側面2)

【表面】
躍進

【裏面】
綾翅ば生らしようり
びる翅ば産だしようり
正月ぬすとむで
元旦ぬ朝ばな
東かい飛びつけ
てだばかめ舞ひつけ
綾なす羽の鷲の子を 産み
美しく艶やかな羽の鷲の子を 孵し
正月の 早朝に
元日の 朝まだき(早朝)に
東のほうへ 飛んで行きなさい
太陽を戴いて 舞って行きなさい

 これは八重山民謡の代表的曲として有名な「鷲の鳥節(ばすぃぬとぅるぃぶし)」で、正月やあらたまった席ではじめに歌われる祝宴歌です。鷲は「カンムリワシ」のことで、元日の朝に上がり始めた太陽に向かって飛び立とうとする若い鷲の姿を歌ったものです。


【側面1】
石垣港建設諸工事の竣工を記
念してこの像を建てる
一九六七年三月 石垣市
大鷲像寄贈 石垣港竣工記念大鷲像建立委員会
大鷲像彫刻 日展評議員  圓鍔 勝三
大鷲像鋳造           高原四郎
題    字           大浜信泉
工    事  合資会社   国場組

【側面2】
省略


大鷲の像は、1967(昭和46)年の美崎町埋め立て、石垣港諸工事整備を記念して建てられました。像は東に向って羽ばたいているように建てられています。飛躍への願いを込めたデザインで、石垣市ではこの後、石垣・登野城両漁港整備事業と併せて新栄、浜崎、八島町、新港地区など次々と埋め立てが進み、広大な面積の街が形成されていきました。


 この像は石垣港離島ターミナル前、ホテルミヤヒラの南側の公園、通称「大鷲の像公園」内にあります。

20.大鷲の像公園の由来

大鷲の像公園の由来の説明看板
 (通称)大鷲の像公園の由来
八重山を代表する民謡「鷲の鳥節」は、
大きなアコウ木の枝に巣つくりした
カンムリワシが卵から綾羽根をかえし
正月の朝早く東の太陽を目指して
飛び立つという雄大な叙情詩で
祝宴で最初に歌われるめでたい歌である。
一九六七年(昭和四二)、美崎町埋立。
石垣港請工事の完成を祝い、石垣市の
躍進を念願してこの公園を建設した。



「大鷲の像公園」は南の美ら花ホテルミヤヒラの前にあります。

21.石垣市民憲章

石垣市民憲章の碑


石垣市役所
石垣市民憲章
 石垣市民憲章 (昭和52年10月22日制定)

 私たちは、黒潮と太陽にはぐくまれ、
詩の国、うたの国 郷土石垣市に誇りを
持ち、みんなで明るい豊かな住みよい町
をつくるために、この憲章を定めます。
一. 私たちは、互いに敬愛し、社会のきま
  りを守り「平和な町」「親切な町」づくり
  にはげみます。
一.私たちは、対話を深め、スポーツを盛
 んにし「教育の町」「健康の町」づくりに
 はげみます。
一.私たちは、美しい自然と郷土文化を守
 り育て「文化の町」「観光の町」づくりに
 はげみます。
一.私たちは、力をあわせて働き、黒潮と
 太陽の恵みにこたえ「産業の町」「美しい
 町」づくりにはげみます。



この碑は玄関手前、正面に向って左手にあります。

22.蘇澳鎮 石垣市 友好親善之碑

友好親善之碑
【上側・碑文】
蘇澳鎮 石垣市 友好親善之碑

【下側・碑文】
蘇澳鎮石垣市姉妹都市提携10周年記念 友好親善之碑
蘇澳鎮と石垣市は、1995年9月26日に恒久なる友好を樹立するため姉妹都市盟約を交わし、以降、教育・文化・産業・観光などの幅広い交流を通じて友好関係を築き上げてきた。相互の交流は、有形無形の財産として様々な分野で地域活性化に大きな成果をもたらし、これらに携わってきたすべての人々に心から感謝の意を表明する。我々は、この姉妹都市提携10周年を機に、両市民を挙げてさらなる親善の促進と友情を深め、友好を礎として、より一層の友好親善の絆を深めていく決意を新たにする。ここに両市の友好と繁栄に貢献することを希求し、友好親善の証として、この碑を建立する。
 2005年6月9日
 蘇澳鎮長 李 坤山  石垣市長 大濱長照


石垣市と蘇澳鎮は、八重山青年会議所と蘇澳鎮青年会館の姉妹締結、民間交流が行政同士の交流に発展、1995年に姉妹都市の縁を結びました。
碑は高さ1.7m、碑文は石垣市出身の書芸家・茅原南龍氏の揮毫です。


この碑は市役所玄関手前、正面に向って左手にあります。

地図3

23.石垣港・花蓮港 姉妹港締結記念碑

石垣港・花蓮港 姉妹港締結記念碑


同 遠景
石垣港
花蓮港 姉妹港締結記念

                      2001年10月25日

石垣港港湾管理者      花蓮港務局局長
石垣市長 大浜長照     黎克恕

※黎克恕は、「れいかつじょ」と読みます。

花蓮港は台湾・東北部の花蓮市にあり、台湾四大国際港の一つです。締結式には、石垣市や石垣港振興協会の関係者らが台湾に渡り、2001年10月25日付で締結の共同宣言を行いました。記念石碑の左右には大きな錨が設置され、姉妹港締結を表しています。



この碑は石垣港ターミナルビル入口の正面中庭に設置されています。

24.ふるさとの風にのせて

ふるさとの風にのせての碑


ブロンズ像 遠景
ふるさとの
 風にのせて


制作 西村貞雄



沖縄彫刻会の第一人者・西村貞雄さんのブロンズ像の作品名として記されています。
そばに、風に吹かれて美しく立つ女性と犬の像が設置されています。



この碑は市民会館裏の公園内にあります。

25.宮良長包記念像

宮良長包記念像の碑


碑 全景
宮良長包
 記念像


 宮良長包は1883年字新川で生まれ、1907年沖縄県師
範学校を卒業した。現登野城小学校に着任し、音楽教育
を開始した。1995年沖縄師範付属小学校へ転任、のち沖
西・小禄両小学校長を歴任して1921年沖縄師範に迎えら
れた。以来、精力的な作曲活動を展開、当時国家主義偏
重と郷土文化蔑視のさなか敢然と沖縄音楽の良さを主張
かたわら『楽即童心』を力説しつつ珠玉の名曲をつぎつぎ
と発表した。1939年56歳で没。その不朽の偉業と遺徳を
称え、ここに記念像を建立する。
2003年12月28日
宮良長包生誕120周年記念事業期成会



この碑は市民会館裏の公園内にあります。
なお、新川の舟蔵公園には八重山青年会議所が宮良長包生誕百周年記念事業で建立した「音楽家宮良長包 顕彰碑」があります。

26.大浜安伴生誕百年顕彰碑

大浜安伴生誕百年顕彰碑
【表面】

同裏面


大浜安伴生誕百年顕彰碑 遠景
【表面】
大濱安伴生誕
百年顕彰碑

あたら島歌
たんでい磨きついけ
我がけーら肝ゆ
すらし給り
  大濱安伴

平成二十四年十月七日建立
揮壱 茅原南龍書

【裏面】
大濱安伴は大正元年十月四日石垣市で出生し平成十三年三月五日九十歳を
一期に那覇市で他界。昭和四年八重山古典民謡を天久用立師に師事し師の上覇後は
石垣喜保師に師事。同二十二年海南時報社主催第一回八重山全島とぅばらーま大会で
優勝。同年八重山民謡研究所を開設。同三十一年八重山文化協会より師範称号を受ける。
同三十五年上覇し八重山民謡研究所を主宰して子弟育成に尽力。
同四十一年演奏と完全に一致する初の教本『八重山民謡三味線工工四』を発刊。
同四十九年系洌長良氏編著『レコード付八重山古典民謡全集』所収の全曲を
みね夫人と共に収録。同五十一年『声楽譜附八重山古典民謡工工四』を上梓。
同年石垣市で八重山古典民謡音楽研究所が結成され名誉会長に推載される。
同五十四年師主宰の八重山古典民謡音楽研究所を発展的に解消し
八重山古典民謡保存会として名称変更。
同年七月那覇支部を結成、翌五十五年関東支部、平成十年に東海支部を結成した。
同五十七年石垣市文化功労者表彰。
同五十八年八重山古典民謡の沖縄県無形文化財指定に伴い、保持者に認定。
同五十九年勲五等瑞宝章、同六十二年八重山毎日文化賞、平成四年沖縄県功労者表彰、
同五年那覇市市制功労者表彰等数々の賞を受賞。
師は実演家、工工四編纂者、指導者として余人の及ばぬ金字塔を打ち立てた。
その陰にはみね夫人の献身的な支えがあった。
生誕百年の節目に当り師の偉業を称えるためこの碑を建立した。

八重山古典民謡保存会 平成二十四年十月七日建立
大濱安伴生誕百年記念事業実行委員会



この碑は市民会館裏の公園内にあります。
  

 Page Topへ戻る   八重山の石碑・説明看板 に戻る   八重山豆辞典 に戻る    HOME へ戻る


Copyright (c) 2008.8 yaeyama-zephyr

写真の無断転載・使用を禁じます。利用等をご希望される場合はメールでご連絡下さい。