「老人と海」のロケ地  作成 2015.02.28

 ドキュメンタリー映画「老人と海」は、アーネスト・ミラー・ヘミングウェイの名作・小説「老人と海」と同名の与那国島版と言われています。
 沖縄に古くから伝わるサバニ [*1]と呼ばれる小舟での漁にこだわり、与那国島で巨大カジキの一本釣りに挑戦し続ける82 歳の老人「糸数 繁」さんを追ったドキュメンタリー映画です。
 この映画は1988年から1990年にかけ2年がかりで撮影が行なわれ、171kgの大物カジキ釣りに成功したシーンを中心に、日常生活や、祭りなどを収録したものです。

 那覇で最初に上映された1990年6月の公開時には、主人公となった海人(漁師)の糸数繁さんも、与那国島から夫婦で上映に駆け付け鑑賞されたそうです。
 しかし、そのわずか1カ月後、糸数さんは、いつものようにサバニに乗り漁に出て、与那国の海でカジキ釣り中に亡くなられました(享年82歳)。

 1990年の公開から20年ぶりに、また糸数さん没後20年にあたる2010年夏に、再編集されたディレクターズカット版として全国上映されました。


[*1] サバニは不思議な舟で、小さくて一見脆く危ないように見えますが、波乗りにはとても適しているそうです。漁をするには苦労するものの、カジキが糸に掛かるとまず引っ張られるから、船の方向をすぐに変えなければいけないけれども、サバニはそれが自在にできるそうです。
 
 小説『老人と海』の舞台であるキューバのハバナ港と、日本最西端に位置する与那国島とは、ほぼ同じ緯度に位置しています。しかも似たような激しい海流が流れています。この面白い類似性に気付いたプロデューサーは与那国島に出向き、そこでサバニに乗ってカジキ漁をする老漁師、糸数繁さんと出会います。与那国島の独特な文化や、ゆったりと流れる時間をカメラに収め、企画段階から丸5年がかりで映画が完成しました。
 なお、この映画にはナレーションは一切入れられていません。
 
 
製作年:1990年
公開日:2010年7月31日(ディレクターズカット版公開)
上映時間:99分
ロケ地は、沖縄県与那国町(与那国島) 久部良漁港
キャストは、糸数繁さん、与那国島の皆さん他
スタッフは、監督:ジャン・ユンカーマン、企画・製作:山上徹二郎
       撮影:清水良雄、 音楽:小室等
 
 
【ストーリー】 
 




 日本最西端に位置する国境の島、与那国島。年に数回、よく晴れた日には台湾の島影を望むことができる。人口およそ1600人のこの小さな島には、荒々しくも美しい自然と、人々が大切に伝え育む琉球王朝と南方文化の影響を受けた多様な文化、そしてゆったりと漂う時間がある。
 1980年代後半、この島には笹舟のように細長い一人乗りのクリ舟(=サバニ)を操り、200キロの巨大カジキを追う82歳の老漁師、糸数繁さんがいた。じいちゃんと呼ばれた糸数さんは島の人々に支えられ、ばあちゃんを愛して海に行き、海を愛して漁に出る。サバニで海に出ることを “海を歩く” と表現していたじいちゃんは、長い不漁に苦しみながらも、1年後、ついにカジキとの格闘に勝利。そして、愛する海に還っていった。まっすぐなじいちゃんの生き方や、自然と人間とが共存しながら生きていく姿から、人が生きることの根源的な強さと豊かさが見えてくる。


 この映画は、与那国島の漁師である故・糸数繁氏の日常を記録した映像である。サバニで単身、カジキマグロや鰹を獲る様子に圧倒される。波に翻弄というより、波が増幅されるものの上に、転がり落ちもせず立ち、魚を手繰り寄せた後は銛で何度も突く。これがヘミングウェイであれば、帰港するまでに鮫に食い尽くされるのだろうが、ここではセリにかけられたり、自分たちのおかずになったりする。
 漁のほかに、闘牛、ハーリー、酒飲み話、祭りの様子が挿入されている。そして、映画は、沖縄本島よりもはるかに近い台湾の島影を映しつつ、酔った糸数氏が「梅の香り」にあわせて踊るシーンで終わる。

  (Movie Walkerより一部引用)

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映画化のきっかけ
 1986年に映画製作会社シグロを立上げたプロデューサーの山上徹二郎氏は、当時ドキュメンタリー映画の製作のため、沖縄本島の読谷村に通っていたそうです。たまたまある日乗ったタクシーの運転手が与那国出身で、その運転手から「今も与那国にはサバニという小さな舟でカジキを一本釣りしている海人がいる」という話を聞きます。短い会話だったものの、山上氏の頭にはヘミングウェイの小説『老人と海』のイメージが漠然と浮かんだそうです。
 東京に戻り与那国島について調べ始めた山上氏は、地図で、ヘミングウェイの『老人と海』の舞台であるキューバのハバナ港あたりと与那国島とがほぼ同じ緯度にあることを知ります。更に、黒潮とメキシコ湾流は流量が多く、流速も速い世界の二大海流であり、与那国島の沖を黒潮が、ハバナ港の沖をメキシコ湾流が流れていることを知ります。つまり、緯度がほぼ同じで海流が似ているということは、同じような魚たちがやってくるし、当然似たような漁法が生まれるのではないか、ヘミングウェイがキューバの漁師の話を基に描いた『老人と海』の世界が与那国島に現存しているのではないか、と思い至ったそうです。
 
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糸数さんとの出会い 
 『老人と海』のイメージを抱いて、与那国島に飛んだ山上氏は、久部良の旅館に泊まり、役場や漁協に行き情報を集めます。そこで、今でも漁をしている老漁師を何人か紹介してもらい、その中に糸数繁さんがいました。
 山上氏は出会ってすぐに直感で、映画の主人公になるのはこの人しかいないと思ったそうです。
 糸数さんは戦前、台湾に漁師として出稼ぎに出たり、終戦直後、台湾との密貿易で好景気だった時には、家を三軒建て下宿屋をしていたこともあったそうです。また、カツオをとる大型漁船の親方として事業をしていた経験もあったそうです。漁師一筋ではなく、様々なことを経験してきた糸数さんは、映画出演のオファーに対しても、特に条件をつけることもなく数日後には出演を引き受けてくれたそうです。
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釣れないカジキ

 
 カジキ漁のシーズンは4月から10月。撮影の年は14年振りの不漁で、その年ついに糸数さんはカジキを釣り上げることができませんでした。撮影隊はやむなく出直すことになりましたが、2年目も一向に釣れる気配がありません。体力的にも金銭的にも苦しく予算さえ組めない状況が続いたそうですが、糸数さんがカジキを釣り上げるまでは撮影を続けざるをえません。というのも『老人と海』はカジキが釣れなければ作品にならないからです。2年目が釣れないなら、3年目も続けるつもりだったそうです。

 かくして1989年5月27日、糸数さんと撮影隊の情熱が実を結び、ついに171キロのシロカワカジキを釣り上げることができました。島の人たち全てにとって、待ちに待った瞬間だったそうです。
 その後、6月のハーリー祭を撮影して一旦クランクアップ。編集途中で追加撮影を敢行し、企画からまる5年がかりでついに映画が完成しました。

※ 「映画化のきっかけ〜釣れないカジキ」は、映画・『老人と海 ディレクターズ・カット版』のHPより一部引用しました。
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[余談]
 撮影時、なかなかカジキが揚がらず、2カ月の予定だった撮影が2年に及んだそうです。
 また、撮影に当ってはカメラマンは、「朝6時前に港を出て、12時間たたないと戻って来れず、暇でどうしようもなくて、慣れるまですごく大変だった」そうです。

 

「老人と海」のロケ地

 

与那国島のロケ地

久部良集落遠景
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西崎展望台から見た久部良集落方向の眺めです。 同拡大。撮影はこの狭いエリアと海上で行われました。
 
 
金刀比羅宮とナーマ浜
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ナーマ浜の上にある金刀比羅宮です。お祭りのシーンが撮影された所です。 金刀比羅宮に上る階段途中からの、ナーマ浜と久部良集落方向の眺めです。
 
  
久部良漁港
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採ってきた魚はこの漁協施設に水揚げされます。海側からの光景です。 こちらは同施設を陸側から写したものです。
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こちらの浜ではハーリー祭の様子が撮影されました。海の神様に漁を感謝し、安全を祈願するものです。 同漁港の遠景です。
 
 
久部良の街並み
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久部良の街並み(信号機のある交差点方向) 反対側の漁協方向。右端にはカジキの石像があります。
 
 
【参考】 久部良多目的集会施設(この施設はロケ地ではありません。)
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久部良多目的集会施設は久部良地区の公民館として住民に幅広く利用されています。 この施設には、「老人と海」のレリーフが壁面に掲示され、また、糸数繁さんが実際に使っていたサバニが展示してあります。
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レリーフの拡大写真です。レリーフの上部はタイトルと糸数さんが、下部にはカジキが描かれています。 サバニの拡大写真です。
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糸数さんを描いたレリーフを拡大したものです。 説明板です。
 
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