四ケ字の豊年祭(ムラプール)2018  作成 2018.08.18


 石垣島最大の伝統行事は、五穀豊穣に感謝し来夏世(クナツユ)の豊作を祈願する「豊年祭」ですが、その豊年祭の中でも一番規模が大きく賑やかなのが四カ字(シカアザ)の豊年祭です。四カ字とは、石垣島の市街地(中心部)にある「新川」、「石垣」、「大川」、「登野城」の字(アザ)のことで、豊年祭はこれらの地区が合同で行うものですが、最近は四ケ字だけでなく、周辺の新興集落(ex.双葉公民館)も参加するようになっています。

 四ケ字の豊年祭は二日間にわたり開催され、一日目のオンプール(御嶽プール:フバナアギ)は各地域の御嶽で開催され、二日目のムラプール[*1](村プール:ユーニガイ)は、新川地区が「大川」「石垣」「登野城」の各地域を招き、真乙姥(マイツバ)御嶽にて合同で開催されます。

 ムラプールでは、各字会や各種団体の自慢による旗頭や伝統芸能が奉納されますが、特色あるそれぞれの旗頭や奉納行事・伝統舞踊を一堂に見る事ができます。
 また、豊穣の神が出現する「五穀の種子授けの儀」、女性だけで繰り広げられ子孫繁栄を祝う「アヒャー綱」、勇壮な「ツナヌミン」、「大綱引き」など見ごたえのあるものも多くあり、夜遅くまで賑やかに行われます。

 2018年の四カ字豊年祭は、7月31日(火)に、新川の真乙姥御嶽(マイツバオン)で開催されました。
当日は、旗頭が15本立ち、巻踊りをはじめ数多くの芸能が神前に奉納されました。
 

 四カ字の豊年祭の開催日は新暦の7月中旬から8月上旬頃であり、1日目は市内四ヶ所の御嶽でオンプール、2日目は真乙姥御嶽[*2]でムラプールが行われます。
 2018年のムラプールのスケジュールは前年同様、以下のようになっていました。しかし、この年も例年同様「巻踊り奉納」は長引き、「五穀の種子授けの儀」は約50分遅れて開催され、またツナヌミンも約20分遅れで開催されました。[原則ツナヌミンは日没後、周囲が暗くなって松明の明かりが映える頃からの開催となります。] 
 ムラプールを見学する場合、メインとなる行事は凡そ15時30分〜21時頃までの間と捉えておくとよいでしょう。

【ムラプール予定表】
 
真乙姥御嶽 9:00 大神酒奉献
長崎御嶽 14:00 巻踊り奉納
真乙姥御嶽 15:30
16:00
17:30


18:00
19:30
豊年祭祝典
巻踊り奉納
五穀の種子授けの儀
アヒャー綱[*3] 
 (西へ大綱の移動)
大神酒奉献
ツナヌミン[*4]・大綱引き[*5]
 
[*1] 豊年祭は、「プール」、「プーリィ」、「プーリン」などと各字(村)によって呼び方が多少異なります。これを漢字に当てはめると「プー=穂:五穀」、「ル(リィ、リン)=礼:儀礼」を意味し、つまりは「穂の儀礼」ということになろうかと思います。
[*2]  真乙姥は、16世紀初頭のオヤケアカハチの乱で王府軍に味方して勝利に導いた功績により、神として祀られていて、その遺徳をしのびムラプールの会場(祭場)になっているそうです。各字会は午後から各御嶽の旗頭を先頭に真乙姥御嶽に集まります。なお、各字会には、それぞれの字会を象徴する2本の旗頭があります。
[*3]  【アヒャー綱】 (「アヒャーマ綱」とも言います。)
 「アヒャー綱」は女性だけで繰り広げられます。ブルピトゥ(棒貫人)に選ばれた女性が神司から授かったブル棒(貫棒:カヌチ棒とも呼ばれます)で雌雄の大綱をつなぎ合わせると、取り囲んだ大勢の婦人たちが「サァー、サァー、サァー、サァー」と掛け声を上げガーリー(歓喜の乱舞)で熱狂、盛り上がります。「アヒャー」とは、貴婦人という意味だそうです。
[*4]   【ツナヌミン】
 「アヒャー綱」の後、豊年祭の会場は水元の神前と言われる真乙姥御嶽の約200m西側の場所に移動します。綱は市民や観光客が持って移動します。 そして、日が傾きかけたころ、綱の両側から松明に囲まれて、東から「なぎなた」、西から「鎌」を持った武者が板舞台に乗せられてきて、綱の中央で勇壮なツナヌミンを演じます。
[*5]   【大綱引き】
 フィナーレは大綱引きで、東西に分かれ合図とともに大勢の市民や観光客が東西に綱を引きあいます。2018年は綱が切れ引き分けとなりました。(1回勝負)
   

四ケ字の豊年祭(ムラプール)2018の様子

真乙姥御嶽です。周辺は13時頃から交通規制が行なわれます。 樹齢2〜300年と言われるオオバアコウの巨樹(左側)の下の広場(境内)で各種芸能が奉納されます。
この真乙姥御嶽の拝殿も来年には立て替えられるそうで、この姿を見るのも今年限りとのことでした。   こちらは、真乙姥御嶽の神司さんです。 
 
各字会や公民館、学校、各種団体の旗頭が建てられています真乙姥御嶽周辺では車両は通行禁止となり、旗頭の支障にならないよう信号機も予め向きが変えられます。 新川字会副会長の会式のことばです。時刻は15時半過ぎです。
新川字会の会長さんの挨拶です。   こちらは、中山石垣市長の祝辞です。
 
登野城字会長の祝辞です。   沖縄県八重山農林水産振興センター所長の乾杯で、奉納舞踊等がスタートします。 
 
 

ここからは各種芸能の奉納で、最初は新川字会の旗頭奉納(スナイ)です。重い旗頭を一人で持ち上げてバランスを取り動き回ります。この後、旗頭は鳥居の左右に縛り付けられます。(旗頭奉納は全ての団体が行います。) 五穀の奉納です。
神司が受け取ります。   ユームツウヤジュ。
 
これはミズヌス?   これはザイ。 
 
    子どもたちも参加します。ユラス、イニスリ(稲摺)、マスタテを演じます。
 
ターラグと呼ばれる人も登場。背中に背負っているのはお酒でしょうか。    杵を持った踊りのようです。 アズンと呼ばれます。
 
こちらは手に鎌を持っています。荒れ田の草を払う様子を表現したガギバライ(鎌払)と呼ばれる演目です。   こちらは手に鋤を持っています。ターウツと呼ばれます。
 
こちらは鉦です。ションクウツと呼ばれます。 鉦に合わせて太鼓を打ちます。タイククツと呼ばれます。
 
     
 

ここからは双葉公民館の皆さんによる奉納です。 鉦を打ち鳴らし、鉦に合わせて太鼓が打たれます。
婦人による巻踊りのようです。 奉納舞踊(スナイ)が次々に演じられます。
 
 

ここからは大川字会の皆さんによる奉納です。 法螺貝が吹き鳴らされ、鉦に合わせて太鼓が打たれます。
三板(サンバ)を使った踊りが奉納されます。
 

ここからは石垣字会の皆さんによる奉納です。 ここも法螺貝が吹き鳴らされます。
鉦に合わせて太鼓が打たれます。 笠を使った踊りです。
 
     
 

ここからは登野城字会の皆さんによる奉納です。 法螺貝が鳴らされ、鉦に合わせて太鼓が打たれます。
 
巻踊り奉納です。
 
 

JAおきなわ」の皆さんによる奉納です。
 
   
 

「石垣島製糖(株)」の皆さんによる奉納です。 鉦鼓の奉納です。
 
     
 

「石垣市役所」の皆さんによる奉納です。最初に市長の挨拶もありました。 若手メンバーを中心にした鉦鼓の奉納です。
 

「八重山農林高校」の郷土芸能部の皆さんによる奉納です。
  稲作をテーマにした舞踊です。これは田植えの様子? 
 
かなりの練習を積まれ、よく揃っていて素晴らしいです。
稲の収穫の様子がよく表されています。
 

「石垣中学校」の皆さんによる奉納です。こちらは田植えの様子を演じたものです。   こちらは鎌を持って稲刈りの様子を演じたものです。
 
刈り取った稲を手にしています。   太鼓を打ちながら踊ります。
 
 

 「東京八重山会」の皆さんによる奉納です。    
 
 

各団体の奉納後、予定より約50分遅れの18時20分頃から、「五穀の種子授けの儀(グクシュシサズケノギ)」が行われました。 東から稚児を連れた五穀豊穣の神(農の神)が板舞台に乗って登場します。
    西からは真乙姥御嶽の巫女が現れます。こちらも板舞台に乗っての登場です。
 
  真乙姥御嶽の前で双方が出会います。
 
農の神から真乙姥の神(巫女)に五穀(稲、粟、麦、大麦、甘藷)の種子が手渡されます。これにより来年の豊作が約束されるといわれています。
扇を挙げ種子が手渡されたことを表しています。これで来夏世の豊穣が約束されました。   その後凄いスピードで両者は離れます。それを祝って女性たちが喜び踊ります。
 
 

 無事、「五穀の種子授けの儀」が終わると、次は女性のみで行われる「アヒャー綱」の儀式に移ります。男性は、この儀式が終わるまで綱には触わってはいけないそうです。
 「アヒャー綱(「アヒャーマ綱」とも言います。)」は女性だけで繰り広げられます。ブルピトゥ(棒貫人)に選ばれた女性が神司から授かったブル棒(貫棒:カヌチ棒とも呼ばれます)で雌雄の大綱をつなぎ合わせると、取り囲んだ大勢の婦人たちが「サァー、サァー、サァー、サァー」と掛け声を上げガーリー(歓喜の乱舞)で熱狂、盛り上がります。「アヒャー」とは、貴婦人という意味だそうです。

 アヒャー綱は、四カ字豊年祭の神事の最後に行われる熱狂的な女性だけの綱引で、真乙姥御嶽の前で行われます。男綱と女綱を結び合わせるブル棒を貫く役目の中役は(この役目は「ツナブルピトゥ」と呼ばれます)、今でも新川出身で在住の婦人に限られますが、綱引はよその村の婦人も一緒に参加しています。(1948年頃までは、字新川の女性だけが綱引をやっていたそうです。) 中役に選ばれるのは大変名誉なことですが、選ばれる条件は夫が健在で夫婦円満の家庭の方だそうです。

 現在のような形で四ヵ字豊年祭が行われるようになったのは与那覇在番(よなはざいばん)の時代(1778〜80)からと言われ、約230年以上の歴史ある祭りです。
 アヒャー綱の始まりは、次のように伝えられています。

 『昔、新川(あらかわ)村がまだ石垣村と分離していなかった頃、石垣村の知念家に航海術に大変優れた男がいた。琉球王府へ貢物を届ける仕事をこの男にお願いすると、誰よりも短時間で、安全に航海してきたので「宇根通事(ウーニトゥージ)(ウーニ:舟、トゥージ:船頭)」と呼ばれた。通事の妻は、いつも真乙姥御嶽の神様に夫の無事をお願いしていたが、あるとき目が見えなくなってしまった。困った通事は妻と相談して補佐役として第二婦人を持つことにした。通事が上覇するときには二人の妻が真乙姥御嶽に祈願しながら待った。
 ある年のこと、通事は王府からの帰りに遭難して唐国に流された。一年たっても帰らなかった。二人の妻は真乙姥御嶽に「夫を無事に帰してくれたら恩返しに綱引をして感謝の意を表しましょう」と言って祈願した。
 ある日、御嶽で祈願していた本妻が「長崎の浜に明かりがついている。夫が帰ってきたのではないか」という。もう一人の妻は「盲目の本妻が見たのなら神様の知らせではないか」と、翌朝早くに浜へ行って見ると、夫の舟が帰っていた。
 二人の妻は喜び勇んで真乙姥御嶽に詣で、約束の綱引をしようとしたが材料がない。そこで、近くの井戸のつるべ紐をはずして縄にない、綱引をして見せた。その後、士族の妻達が、通事の妻にあやかって王府に出向く夫の無事を祈って願を掛け、役目を果たして帰ってくると綱引をして御礼詣でをした。』

 以来、この綱引を、アヒャー綱と言うようになったそうです。なお、綱は龍の化身ともいわれ、水神、龍神への感謝を込めているとも言われています。 

 アヒャー綱は、女性だけで行うものですが、実際に綱を引くことはしません。神司からブルを受け取ったツナブルピトゥは、他の婦人たちが真乙姥御嶽の前に準備された雄綱と雌綱を絡ませて作った隙間にブル棒を差し込み、綱の上に乗ります。その綱はそのまま祭の中央へ運ばれ、そこでツナブルピトゥは綱から降りてブル棒を引き抜き御嶽へ戻します。この儀の間「サァーサァーサァーサァー」という凄いパワーの女性たちの掛け声と巻踊りが繰り広げられますが、これは豊穣の模擬行為を示していると言われています。
 [石垣島検島誌より一部引用]


 
巻き踊りからスタートします。 徐々に盛り上がります
旗頭も一緒になり一層盛り上がります。 中央の「ブルピトゥ」が神司からブル棒(貫棒:カヌチ棒)を授かりに拝殿に行きます。今年の「ブルピトゥ」は仲大範子さん(64)が大役を果たされました。
写真中央左の棒がブル棒です。   ブル棒を持ったこの方が「ブルピトゥ」です。「ブルピトゥ」は一生に一度の大役で、しかも1年に一人という、女性にとっては大変名誉のある役だそうです。
 
雌雄の大綱を両側から持ち寄り、「ブルピトゥ(棒貫人)」は、神司から受け取った「ブル棒(カヌチ棒)」で大綱をつなぎ合わせます。「ブルピトゥ」は、神司に無事に綱が結ばれたことを伝えます。 
結び終わると、周囲の女性たちが「サァー、サァー、サァー、サァー」と掛け声を上げる「ガーリー」で盛り上がります。  
 
     
 

 「アヒャー綱」の儀式の後、ブル棒が抜かれ2本になった大綱を見物客も参加して皆で水元の神前とされる真乙姥御嶽の西側200mの所に移動させます。 [参考:2015年撮影]
皆で力を合わせ引っ張っていきます。[参考:2015年撮影]
大綱と全団体の旗頭が移動が完了する頃、ちょうど日が暮れます。随分と暗くなってきました。[参考:2015年撮影] 全ての旗頭は所定の位置に固定されます。[参考:2015年撮影]
  八重山農林高校郷土芸能部の皆さんの踊りで場が盛り上がります。
 
 
 大綱の移動を終えるといよいよ「ツナヌミン」です。
 日が傾きかけたころ、綱の両側から松明に囲まれて、東から「薙刀」、西から「鎌」を持った武者が板舞台に乗せられてきて出会い、大綱の中央で勇壮なツナヌミンを演じます。
 「ツナヌミン」とは「綱の耳」、つまり綱引きの結びあう先端の「耳」を表しています。なお、地元の方の中には、この「ツナヌミン」のことを「牛若丸と弁慶」と呼ぶ方もおられます。
 

武者が板舞台に乗せられて登場します。周囲の照明は全て落とされ松明の明りがたよりです。 東は薙刀を持ち、西は鎌を持っています。飾り手(歌舞伎でいう「見得」のような動作)を決めながらやってきます。
爆竹の合図で戦いが始められます。今回は割と良いポジションを確保することができました。 新川の奉納芸能をほかの字の人たちが支えます。
 不安定な板舞台の上で武者が華麗に乱舞する姿は勇壮です。周囲は指笛の音で盛り上がります。3分30秒の闘いです。
爆竹の合図で終わると同時に凄いスピードで元の場所まで戻ります。
 
 フィナーレは大綱引きで、東西二組に分かれ合図とともに大勢の市民や見物客が東西に綱を引きあいます。
 組み合わせは、兄弟村といわれる登野城と石垣、大川と新川に別れて引きます。1回勝負です。
 終わったら、大綱に取り付けられた細い引き綱(縁起物)を取り、持って帰ります。
 これで5時間以上にわたるムラプールが終了します。

見物客も参加できます。凄い熱気の中で綱を引き合います。[参考:2015年撮影] [参考:2015年撮影]
 
 ※ 2018年の大綱引きは開始早々に綱が切れ、引き分けとなりました。

 この後、各字会は旗頭を出身集落に持ち帰ります。一通りの行事が終わった後も片づけなければならない作業が多々あり、各地区のメンバーは夜遅くまで相当大変なようです。
 見学を通じて、実に多くの人びとの力によって豊年祭が開催されているということを知ることのできた一日でした。

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