竹富島の御嶽  更新 2016.04.09

※今回は、「西美崎御嶽(イルミシャシオン)」と「マザカイ拝所」「クヤマ拝所」の追記を行ないました。
  その他「3.各御嶽の紹介」において、青字で示す御嶽の写真追加・差替え等を行いました。


御嶽は神聖な場所なので、むやみに立ち入らないでください。(特に男性の立ち入りは制限されています。)
多くの御嶽の入口には内地の神社と同じように鳥居が建てられていますが、御嶽に於いてその意味は全く異なるものであることを理解しておいて下さい。
 
 沖縄では、本土の神社に当たる拝所をウタキ(御嶽)といいますが、竹富島ではその拝所を、オン(御嶽)・ヤマ(山)・タキ(嶽)・ムル(杜)などと呼びます。
 竹富島の拝所は86カ所あり、その内、御嶽と呼ばれるものは28カ所あるそうです。
 その竹富島の数多くある拝所の中でも、最も重要な拝所は御嶽の中の六山(ムーヤマ)であり、これは、「六つの拝所」の意味で、島の開祖と言われる6人の酋長を祀っているものです。そして、各々の御嶽には、それぞれ村があったと伝えられています。
 また、この六山とともに重要な御嶽が、竹富島の祭事の中心となる、村御嶽(ムラオン)と呼ばれる4か所の御嶽です。
 
 六山は具体的には、玻座間御嶽(ウ-リャオン)、仲筋御嶽(サージオン)、幸本御嶽(コントゥオン)、久間原御嶽(クマーラオン)、花城御嶽(ハナックオン)、波利若御嶽(バイヤーオン)です。
 六山に祀られる神々は、6人の酋長たちによって、沖縄・久米島・徳之島・屋久島から分神した、と古文書(琉球国由来記)に記されています。その起源は明確ではありませんが、16世紀以前のことではないかと推察されます。
 その大まかな内容は以下のとおりです。
 『昔、竹富島に、玻座間村の「根原金殿」、仲筋村の「新志花重成」、幸本村の「幸本節瓦」、久間原村の「久間原発金」、花城村の「他金殿」、波利若村の「塩川殿」、という6人の酋長がいました。6人の酋長たちは心を合わせ、島のため、作物の実りのために、守護神を拝みたく思って願ったところ、願いが叶い、神様が各々の島から渡ってきました。それで、6人の酋長をはじめ、村の者たちは謹んで敬い、各々御嶽をこしらえ、拝み始めました。』
 
 この六山の存在から、竹富島は、沖縄・久米島・徳之島・屋久島から来訪した人々により形成され、同時に、粟・麦・豆の伝来ルートも計り知ることができようかと考えます。また、東集落・西集落は、4つの集団によって開かれ、また、仲筋集落は2つの集団により開かれたものと考えることができようかと思います。
 
 なお、竹富島に人が住み始めたのは10世紀前後と考えられています。島には12世紀末の東新里村遺跡や、14世紀頃の西新里村遺跡があり、13世紀頃に新里村が成立したと考えられています。 

1.六山 (ムーヤマ)と村御嶽 (ムラオン:トゥクルウガン)

六山(ムーヤマ) 島の開祖と云われる6人の酋長を祀っている6か所の御嶽。最も重要な拝所です。
@ 玻座間御嶽
(ウ-リャオン)
屋久島から渡来した根原金殿(ネハラカンド)は、玻座間村の祖として祀られ、粟の耕作に努めたので「粟の神」とされています。一番勢力が強く、徳も高かったとされています。各村々で個々に行われていた種子取祭を一つに統合しました。
A 仲筋御嶽
(サージオン)
沖縄本島から渡来した新志花重成(アラシハナカサナリ)は、仲筋村の祖として祀られ、麦の耕作に努めたので「麦の神」とされています。彼の愛犬が仲筋井戸を発見したという伝承があります。
B 幸本御嶽
(コントゥオン)
久米島から渡来した幸本節瓦(コウモトフシカワラ)は、幸本村の祖として祀られ、大豆・小豆の耕作に努めたので「豆の神」とされています。
C 久間原御嶽
(クマーラオン)
沖縄本島から渡来した久間原発金(クマハラハツカネ)は、久間原村の祖として祀られ、植林に努めたので「山の神」とされています。
D 花城御嶽
(ハナックオン)
沖縄本島から渡来した他金殿(タカネトノ)は、花城(ハナグスク)村の祖として祀られ、力比べや船漕ぎ競争などが得意だったので、「海の神」とされています。
E 波利若御嶽
(バイヤーオン)
徳之島から渡来した塩川殿(シオカワトノ)は、波利若(ハリワカ)村の祖として祀られ、6人の酋長のうち最も若かったため、他の酋長の作物のために「雨の神」となったとされています。
村御嶽(ムラオン) 竹富島の祭事の中心となる4か所の御嶽です。
F 国仲御嶽
(フィナーオン)
国の平和の守り神を祀る御嶽です。
G 清明御嶽
(マイヌオン)
国造りの神を祀る御嶽です。最初、清明御嶽の神が竹富島をつくり、その後、石垣島・於茂登岳の神から頼まれ、両神が協力して石垣島をつくり、それから八重山の島々をつくったという伝説があります。
FGを加えると八山(ヤーヤマ)となります。
H 西塘御嶽
(ニシトウオン)
16世紀前期に、琉球王府より竹富大首里大屋子(オオヤコ)を授けられ、竹富島に蔵元を置いた島の功績者である西塘を祀っています。
Hを加えると九山(クヌヤマ)となります。
I 世持御嶽
(ユームチオン)
村番所・村役場跡地に火の神と農耕の神を祀った御嶽です。ここでは、五穀豊穣と島民の健康繁栄を祈る島最大の祭・「種子取祭」(タナドゥイ:国の重要無形民俗文化財に指定されている島で最大の祭)が行われます。祭りの際に使われる、ミルク神のお面が安置されている「彌勒奉安殿」があります。1914年から38年の間は、この場所に竹富村の村役場がありました。
 ※これらの御嶽にはそれぞれ、神事を司る神司(かんつかさ)がいます。
玻座間御嶽
(ウ-リャオン)
仲筋御嶽
(サージオン)
幸本御嶽
(コントゥオン)
久間原御嶽
(クマーラオン)
花城御嶽
(ハナックオン)
波利若御嶽
(バイヤーオン)
国仲御嶽
(フィナーオン)
清明御嶽
(マイヌオン)
西塘御嶽
(ニシトウオン)
世持御嶽
(ユームチオン)
六山(ムーヤマ)
八山(ヤーヤマ)
九山(クヌヤマ)
村御嶽(ムラオン:トゥクルウガン)

2.竹富島の主要御嶽の地図

久間原・花城・波利若の三御嶽は、集落から外れた現集落の東方に祀られています。ここは、昔、集落があった場所とも言われています。

集落内の御嶽

3.各御嶽の紹介

No. 御嶽名 No. 御嶽名 No. 御嶽名
1. 玻座間御嶽(ウ-リャオン)* 11. 真知御嶽(マーチオン)* 21. 根ウスイ御嶽(ニーウスイオン)
2. 仲筋御嶽(サージオン)* 12. 美崎御嶽(ミシャシオン) 22. 肝合掌御嶽(シムザーシオン)
3. 幸本御嶽(コントゥオン) 13. 親泊御嶽(ウヤドゥマリオン) 23. 東パイザーシ御嶽(アイパイザーシオン)
4. 久間原御嶽(クマーラオン)* 14. 東美崎御嶽(アイミシャシオン) 24. シュウラムイ御嶽(シュウラムイオン)*
5. 花城御嶽(ハナックオン)* 15. 西美崎御嶽(イルミシャシオン)* 25. 皆治御嶽(カイジオン)
6. 波利若御嶽(バイヤーオン)* 16. ニーラン神石(ニーランカントゥイ) 26. プサシ御嶽(プサシオン)
7. 国仲御嶽(フィナーオン)* 17. 白金御嶽(シュッガネーオン) 27. 鍛冶屋御嶽(カジヤオン)
8. 清明御嶽(マイヌオン) 18. 埴山(ハニヤー)* 28. アーレー御嶽(アーレーオン)
9. 西塘御嶽(ニシトウオン)* 19. 志麻保御嶽(シマフオン)
10. 世持御嶽(ユームチオン) 20. 宇根御嶽(ウーニオン)
No. 拝所名 No. 拝所名 No. 拝所名
マザカイ拝所 クヤマ拝所


 
(1)玻座間御嶽(ウーリャオン)  [六山]
 
 竹富島の始祖である6人の王のうちの1人、「根原金殿」を祀っています。根原金殿は、屋久島から渡来したとされ、玻座間村の祖として祀られています。粟の耕作に努めたので「粟の神」とされます。一番勢力が強く、徳も高かったとされ、各村々で個々に行われていた種子取祭を一つに統合しました。[西集落]
 
玻座間御嶽は、島最大の神行事である種子取祭を執り行なう世持御嶽の西隣に鎮座しています。
 
 

(2)仲筋御嶽(サージオン)  [六山]
 
仲筋御嶽
ここに祀られている「新志花重成(アラシバナカサナリ)」は、仲筋(ナージ)村の村建ての神で、沖縄島から渡来し竹富島に鉄を伝えたと伝えられ、麦の神として崇められています。またこの御嶽が通称「サージオン」と呼ばれ親しまれているのは、「サージ」という地名に由来しているからです。
Utaki, a place of worship found all over Okinawa, is called On or Yama on Taketomi. Saji On is one of the muyama (six important On) * that have a particular apiritual importance for the island residents. Enshrined here is Arashibana Kasanari, the founding deity to Nakasuji (Naji) Village, who, as the legend goes, came from the Okinawan mainland to introduce iron to Taketomi, but he is now worshioed as a god of wheat and barley. This On is popularly called Saji On, from the place name Saji.
The On is a sacred space and generally off-limits to visitors.
* Muyama:Oriya On, Saji On, Kumara On, Hanakku On, Baiya On

[環境省の説明看板より抜粋][仲筋集落]
 
仲筋御嶽は竹富小中学校体育館の西隣に鎮座しています。 祀られている「新志花重成」の愛犬が仲筋井戸を発見したとの伝承があります。
拝殿 御嶽入口の遠景。 道路の右が竹富小中学校です。
 

(3)幸本御嶽(コントゥオン)  [六山]
 
竹富島の始祖である6人の王のうちの1人、「幸本節瓦」を祀っています。幸本節瓦は、久米島から渡来したとされ、幸本村の祖として祀られています。大豆・小豆の耕作に努めたので「豆の神」とされています。御嶽周辺には、タブノキ・フクギ・ガジュマルなどの大樹が生い茂り、オオハギやクワズイモが繁茂し、自然の森の姿がよく残されています。また、幸本御嶽の敷地にあるクスクバーという小高い聖地は、ニライカナイからの神が休息すると言われています。[仲筋集落]

幸本御嶽(小波本)御嶽
御嶽の森は島の租神をまつる聖域として、昔から島の人々によって大切に保存されてきました。
したがって、そこでは竹富島の自然に近い姿の森を見ることができます。

[鳥居そばの説明看板より]
 
 

(4)久間原御嶽(クマーラオン)  [六山]
 
久間原御嶽
(クマーラオン)ここに祀られている神は、沖縄島から渡来された久間原発金(クマバラハツガネ)と伝えられ、久間原村の祖として祀られています。木の神・山の神として崇められています。この御嶽では、「山入りの願い」、「ヤマバンハジリ」という行事が行われ、家を造った人々はお参りをすることになっています。
 (以下略)
[環境省の説明看板より抜粋]
 
久間原御嶽は東集落から東方のナーラサ浜に向うナーラサ道沿いに鎮座しています。 久間原御嶽は広大な久間原・花城村跡遺跡に含まれます。
拝殿
 

(5)花城御嶽(ハナックオン)  [六山]
 

竹富島の始祖である6人の王のうちの1人、「他金殿(タカニドゥン)」を祀っています。
他金殿は、沖縄本島から渡来したとされ、花城村の祖として祀られています。走るのが得意で、力比べや船漕ぎ競争などにも勝利したため、海の神を祀る御嶽としても信仰されています。

 
花城御嶽は東集落から東方のナーラサ浜に向うナーラサ道沿いに鎮座しています。 花城御嶽は広大な久間原・花城村跡遺跡に含まれます。
拝殿
 

(6)波利若御嶽(バイヤーオン)  [六山]
 
竹富島の始祖である6人の王のうちの1人、「塩川殿(シューカードゥン)」を祀っています。
塩川殿は、 徳之島から渡来したとされ、波利若(はりわか)村の祖として祀られています。6人の王のうち最も若かったため、他の王の作物のために「雨の神」として崇められています。
 
波利若御嶽は東集落から東方のナーラサ浜に向うナーラサ道の南側に鎮座しています。北隣には花城御嶽があります。
  拝殿
 

(7)国仲御嶽(フイナーオン)  [村御嶽][八山]
 
国仲御嶽
島の偉人西塘様は、首里王府の高官に仕えた頃に石工として大成し、園比屋武御嶽の石門を築いた功績が認められ、八重山の頭職(カシラショク)に任じられ故郷に錦を飾りました。そしてカイジに八重山で最初の行政庁として蔵元(クラモト)を開設しました。国仲御嶽は、その西塘様によって首里の園比屋武御嶽の神を勧請(カンジョウ)して創建されました。ムラオン*(村御嶽)のひとつで「国の平和の守り神」として信仰されています。

御嶽は神聖な場所なので、むやみに立ち入らないでください。
* ムラオン(村御嶽)・・・清明御嶽、国仲御嶽、西塘御嶽、世持御嶽
Respeceted as a great man on Taketomi, Nishito became a very successful stonemason while serving the Shuri royal government on the Okinawan mainland.
In recognition of his outstanding achievements in constructing the stone gate of the Sonohyan Utaki for the Shuri government, he was appointed chief administrator of the Yaeyama area and returned to his home island of Taketomi as a hero. He then established kuramoto at Kaiji, the first administrative office in Yaeyama. Nishito built Fuina On to invoke the god of Sonohyan Utaki from Shuri.
This shrine is one of the Muraon,* and its inhabiting spirit is worshiped as a deity of peace for the country.
The On is a sacred space and is generally off-limits to visitors.
* Muraon: Mainu On, Fuina on, Nishito on, Yumuchi On
[環境省の説明看板より抜粋][仲筋集落]
 
オヤケアカハチの乱後、大里大将に見いだされて首里に上った西塘が忠勤25年、大首里大屋子(間切の長)役を拝命して竹富島に帰島します。そして、八重山諸島の琉球化を進める事になったようで、各島々の酋長と民衆を掌握するためにも、新しく信仰の対象として、ここ国仲御嶽に首里城にある園比屋武御嶽の神を勧請して祭ることにしたようです。そして季節の節目(正月・一日・十五日・冬至)などに諸役人が集まり、首里王府の繁栄と琉球王の長寿を祈る事を義務付けたそうです。
 
竹富島のほぼ中央の国仲原に位置する御嶽です。 
  拝殿
 

(8)清明御嶽(マイヌオン:前の御嶽)  [村御嶽][八山]
 
清明御嶽
この御嶽には、島造りの神と石垣島のオモト岳の神を祀っています。最初、この御嶽の神様が竹富島を造りました。その後、オモト岳の神様から依頼があり、両神は協力して石垣島を造り、それから八重山の島々を造ったそうです。
この西側の道は、北の美崎浜から南のカイジ浜へと竹富島を貫く道であり、その一部はナビンドー(神の道)と呼ばれています。その道沿いには、玻座間御嶽、仲筋御嶽、幸本御嶽があります。
旧暦8月初め頃ここで行われる結願祭は、明治八年に豊作祈願が叶った感謝祭として始められました。その祭りでは、「始番狂言」「芋掘狂言」などの芸能が奉納されます。
Mainu On, a shrine dedicated to the god who created Taketomi Island and the god of Mt. Omoto on adjacent Ishigaki Island, holds its Kitsugan Festival each year in early August, by the lunar calendar, to thank gods for good harvests. A section of road running west of Mainu On, bisecting the island from north to south, is called Nabindo (god's way).
[環境省の説明看板より抜粋] [東集落]
 
清明御嶽は、竹富小中学校の北側にあります。
 
 

(9)西塘御嶽(ニシトーオン)  [村御嶽][九山]
 
西塘御嶽(ニシトーオン)
竹富島の人々が敬愛する西糖は、一五〇〇年のオケヤアカハチ争乱のとき、八重山に派遣された琉球王府軍の大里大将(オオザトタイショウ)に見いだされ、王府に仕えました。
その間に、園比屋武(ソノヒャン)御嶽の石門を築造しました。また、首里城の城壁の修復や弁ケ嶽の石門の築造も行ったと言われており、当時王都首里において盛んだった石造り建築の優れた技術者でした。それらの功績によって、西塘は一五二四年、竹富大首里大屋子(タケトミオオシュリオオヤコ)に任じられて錦衣帰郷し、竹富島のカイジに蔵元(役所)を置いて八重山全域を統治しました。
この場所は、西糖のお屋敷でしたが、死後お墓が造られ、後に島の守り神として祀られました。ここでは西塘大願い(ニシトウフーニガイ)のほか、神司(カンツカサ)や島の役職者が祭り毎に祈願に訪れます。現在は沖縄県の文化財に指定されています。
Nishito is a historic figure who is still loved and admired by islanders. During his service to the Kingdom of Ryukyu. Nishito built the stone gate of Sonohiyan Utaki, an achievement that made him ruler of the Yaeyama Islands in 1524. While he was ruler, his mansion stood here; now his tomb stands here, and he is worshipped as a guardian god of Taketomi Island.
[環境省の説明看板より抜粋]

竹富まちなみ館の北・玻座真集落に位置する西塘御嶽は、首里王府に仕え園比屋武御嶽の石門(世界遺産)をはじめ首里城城壁修復を手がけた「西塘」の屋敷跡が島の守り神として御嶽になったものです。なお、「西塘」は、数々の功績により1542年に竹富大首里大屋子(オオヤコ)に任じられ、カイジ浜に置かれた蔵元(役所)で八重山全域を統治した人です。

西塘は石垣島で亡くなりましたが、後に石垣に建てられていた墓をここに移しました。この御嶽の裏側が西塘の墓(埋葬地)になっています。現在の拝殿は2013年に改装されました。
[東集落]

[改装前の御嶽2011]
[改装後2013]
 
 

(10)世持御嶽(ユームチオン)  [村御嶽]
 
世持御嶽
ここは、
琉球王府時代の村番所跡であり、竹富村誕生の1914(大正3)年から1938(昭和13)年まではここに村役場がありましたが、その跡地に、火の神と農耕の神を祀ったのが世持御嶽です。
秋の戊子(ツチノエネ)の日を中心にした10日間の種子取祭は、国の重要無形民俗文化財に指定さています。種子取祭は、五穀豊穣と島民の健康繁栄を祈願する島最大の祭りで、7日間と8日間は神事、奉納芸能、それに世乞い(ユークイ)の行事が夜を徹して行われます。殊に奉納芸能は70演目余りが幕間なくつづき、島全体が湧き立ちます。この周囲は拝所が集中して聖域をなしているため、竹富島の昔からの森が残されています。種子取祭はこの場所から、島全体へと祭りの場を広げていきます。

Yumuchi On, a shrine dedicated to the gods of fire and agriculture, is known for its autumnal festival, called tanadoui. This annual festival, the island's largest event and designated an Important Intangible Folk-Cultural Property, has always been observed by islanders in earnest prayer for good harvests, as well as for the islanders' continued good health and prosperity. During the festival, over 70 performing art programs are presented in continuity, to entertain the gods, and bring excitement to all islanders.
[環境省の説明看板より抜粋][西集落]
 
島の年中行事のうち、四月大願、西塘祭、結願祭、九月大願、種子取祭が、ここを中心にして行われます。なかでも種子取祭は、五穀豊饒と島民の繁栄を祈願して行われる竹富島最大の行事です。祭は10日間続き、古くから伝わる舞踊や狂言などの奉納芸能が神への感謝をこめて行われます。竹富島をもっと深く知りたい人は、是非こうした行事に合わせて島を訪れるのがよいでしょう。
 
世持御嶽は、竹富民芸館の北側にあります。
種子取祭の様子(ミルク)
 

(11)真知御嶽(マーチオン)
 
真知御嶽は竹富公民館が管理する村御嶽ではなく個人が管理している御嶽です。
伝承によれば、重篤の八重山在番(首里王府から派遣された常駐官)の命を救った信仰篤く、セジ(霊感)高い真戸(マートゥ)とフゾン兄妹の墓が御嶽となりました。二人は、在番救命の御礼に頂いた穀俵を全て六山の神司に配分し、欲のない生き神様と慕われました。
現在も、生長した麦に実が入ることを願う二月祭、蒔いた種子がすくすくと育つことを祈願する四月祭、火災・水難防止を祈願する十月祭の、各祭祀が執り行なわれています。
 
真知御嶽は、西集落の玻座間御嶽の西側にあります。
 

(12)美崎御嶽(ミシャシオン)
 
美崎御嶽
美崎御嶽は航海安全・海上平安の神として崇められています。島の人々が、旅に出たり、帰ってきた時に祈願をしたり、感謝をする御嶽です。
この先のミシャシ海岸は、かつては島の主要な港として、大正年間頃まで使用されていました。今もガンギ(桟橋)跡が見られます。
Mishashi On is a deity of peace and safety at sea. Here islanders offer a prayer when setting out on a journey, and give thanks upon their return. At Mishashi, the coast beyond the On, there used to be a major island port that was used until the early 20th century. The remains of the gangi (pier) can still be seen there. The On is a sacred and is generally off-limits to visitors.

[環境省の説明看板より抜粋]
 
  ガンギ(桟橋)跡
 

(13)親泊御嶽(ウヤドゥマリオン)
 
海と船の守り神が祀られている御嶽のようですが、調査不足で詳細は不明です。
此処は海底ケーブルの引揚げ場ともなっています。
 

(14)東美崎御嶽(アイミシャシオン)
 
星砂で知られる竹富島ですが、竹富島には、「海の大蛇に食べられた星の子供の骨が流れついた」という民話があります。可愛そうに思った東美崎御嶽の神司(かんつかさ)が星砂を集めて香炉に入れ、祭りの時に線香の煙と共に母星の元に昇らせたそうです。今でも竹富島では年に一度の東美崎御嶽の祭りの時には、香炉の星砂を入れ替えているそうです。
 

(15)西美崎御嶽(イルミシャシオン)
 
コンドイビーチの西端(岬)とカイジ浜とのほぼ中間地点の海岸から、浜上の木立の中にある御嶽ですが、なかなかその場所(入口)を特定することは難しいです。しかし少し離れて浜の木立を眺めた時、大きな樹木が密集している場所が探すヒントになるかと思います。御嶽は、僅かに香炉が置いてあるだけですが、とても趣のある御嶽です。
航海安全などにまつわる拝所のようです。
 
 

(16)ニーラン神石(ニーランカントゥイ)
 
ニーラン神石
海の遥か彼方にあるニライカナイの国から、年に1度神々が船に種籾を積み島に訪れ、人々に五穀豊穣やすべての幸をもたらしてくれると信じられています。
竹富島では毎年旧暦の8月8日にカンツカサ(神司)や有志が集まり、ニーラン神のもとで世迎い(ユーンカイ)の儀式が行われます。その際には供え物をし、ドラや太鼓を打ち鳴らし、「トゥンチャー」を唄い、手招きをして神々を迎えます。

It is believed that the gods sail to taketomi once a year carrying grain seeds from Niraikanai, a legendary paradise far beyond the sea. They bring good harvest and many other blessings.
Also, each year on the 8th day of the 8th lunar month, kantsukasa (female priests) and volunteers gather in front of the Niran to perform the Yunkai. During this ritual they welcome the gods by making a votive offering, beating gongs and drums, singing the song touncha, and beckoning the gods with their hands.
[環境省の説明看板より抜粋]
 
ニーラン神石は、コンドイ浜近く(西桟橋寄り)の海岸にある高さ50センチ程の石です。ニライカナイの国から種籾を持ってやってくる神は、この石に船のとも綱をかけると言われます。種子取祭の日には、ここでユーンカイの儀式が行なわれます。
 
 

(17)白金御嶽(シュッガネーオン)
 
白金御嶽は築城にまつわる拝所らしいのですが、詳細は調査不足で不明です。
ンブフル展望台の南西に位置します。
 
 
 

(18)埴山(ハニヤー) [埴山御嶽]
 
人頭税を収めていた時代、首里への上納船に仲筋御嶽のマイチという神司が乗っていて、この船が嵐で中国に漂着しました。幸いにも中国人の温情で一命をとりとめた神司は帰郷することができました。帰郷に際し、世話してくれた方から「あなたの家の西にある杜に(その時に中国人に勧められた)守護神を祀り信仰すれば村は繁栄する」と言われ、印判を二つに割って互いに持ち、再会を約束しました。
以来、
仲筋村の無病息災の神として村人から信仰されている御嶽です。御願所は「ハニヤの由来の碑」の裏側です。
 
 

(19)志麻保御嶽(シマフオン)
 

(20)宇根御嶽(ウーニオン)
 

(21)根ウスイ御嶽(ニーウスイオン)
 
ニーラン神が一休みをした場所に建てられた御嶽と云われています。草むらに隠してあった種子物の神名を「根(ニー)ウスイ」と呼びます。根ウスイとは、種子を草の根でかぶ被すという意味です。
この御嶽はコンドイビーチ入口の北側にあります。
 

(22)肝合掌御嶽(シムザーシオン)
 
西塘には一人の息子、「宇座」がいたが、小舟に乗って魚釣りをしていた時に急に嵐に遭って、小舟は木の葉の様にもまれ、ようやく南の島に漂着して救われました。一人息子を失った母カナメは、宇座のことが気になり、自分の畑にあるユーナ木の側で、雨の日も、風の日も朝夕宇座が無事で帰ってくれるよう祈願しました。
その後、八重山の御用船が、沖縄より八重山へ帰る途中、暴風に遭って南の島に流されましたが、その島には宇座が住んでいました。船員達が「貴方はどなたです」と呼びかけると、宇座は大声で、「私は竹富島の西塘の子です。今より7年前この島へ漂流してきました。この島人より可愛がられて相当な役職に就き、何不自由なく暮らしています。八重山へ帰りたいが役職にいる身で勝手に帰ることができません。」
船員達は数日の後、八重山に帰ることが出来たので、早速竹富の母、カナメに、宇座が元気で公職に就いていることを伝えました。
母カナメは大そう喜ぶと共に、毎日祈願した甲斐があったので、此処を守神としてその後拝むようになりましたが、これが肝合掌(シムザーシ)御嶽です。
この御嶽は、今でも旅の守り神として拝まれているそうです。
この御嶽は、集落からミシャンミチを通って北岬に向う際に、道の東側にあります。
 

(23)東パイザーシ御嶽(アイパイザーシオン) [東拝座御嶽]
 
東パイザーシ御嶽
集落の中にも周囲にも、神をまつる拝所や斎場があって、大切にされています。
なかでも御嶽はもっとも重要な聖地で、ここには島の人々の生活を守る神が住むと信じられています。
竹富島には御嶽が28か所ほどあり、ここを中心として行われる祭りは、島の人々の大切な生活の一部になっています。
御嶽にはそれぞれ意味があり、この東パイザーシ御嶽は島をつくり、島を育てる神がまつられているといわれます。

[説明看板より][東集落]
 
 

(24)シュウラムイ御嶽(シュウラムイオン)
 
東集落の北方、世持御嶽の北東、民宿・松竹荘の北側の森に鎮座する御嶽です。
シュウラ(強くする)ムイ(森)=「強化の森」と解釈され、子孫繁栄に関わる御嶽と思われます。
創建の伝承は、その昔、島に赴任した悪い役人が胡麻の上納で村人を困らせ、村人は役人を追放するため、人里離れた森で協議を重ねました。その結果、追放することに成功しました。その際、協議を重ねたこの森をシュウラムイと命名し、御嶽として信仰するようになったそうです。
 
 

(25)皆治御嶽(カイジオン)
 

(26)プサシ御嶽(プサシオン) [武佐志御嶽] 
 

(27)鍛冶屋御嶽(カジヤオン)
 
かつて竹富島に鍛冶屋があった頃は夜通しふいご祭りを行い、翌日は神司、部落有志、親戚等が集まり盛大に振舞ってお祝いしたそうです。現在は鍛冶屋はおりませんが、鍛冶屋の火の神様へ1年の感謝と翌年の平安を願い行われます。
鍛冶屋の御嶽は以前、皆治の蔵元近くにあったのですが、本来あった場所に戻すべきとの意見から、鍛冶屋があったンブフルの麓へ平成14年に香炉が移されました。周囲には石垣が積まれ、赤瓦の屋根が設けられて立派になっています。
 
 

(28)アーレー御嶽(アーレーオン) [阿礼御嶽]
 

(A)マザカイ拝所
 
西集落から西桟橋に向かうトゥードイ道沿いの右手側にある拝所です。
マザカイは琉球王府のころ、人頭税の納付対応のため、竹富島役人のウイカ田の監督者として西表島・仲間村に渡りました。霊石を設置し、その周りに琉球石灰岩の石垣で取り囲んだ拝所ですが、設置年代は不明です。年に一度、西表・仲間村(大富)への祈りが執り行なわれています。
 

(B)クヤマ拝所
 
旧与那国家の南東側の木立の中(製糖原:トンドゥーバル)にあり、その名のように安里家一門が崇拝する拝所です。
安里家のクヤマは、絶世の美女として知られ、島に赴任する役人衆の羨望の的となりました。クヤマは目差(めざしぃ=助役)の申し込みを断り、与人(ゆんちゅ=村長)の賄い女性となりました。その後、与人の帰郷に際して、製糖原に給仕功労賞として土地(下の最初の写真の左側の土地)を与えられました。拝所は安里家の者が霊示を受けて拝み始めたそうです。クヤマは生涯独身で暮し、当時としては長寿の78歳で亡くなりました。
 
 
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