舞台の芸能 2014 (2日目)その3  作成 2015.01.30
2014年11月16日に開催された竹富島の種子取祭の「舞台の芸能」の様子を紹介します。
2日目は仲筋村の演芸となりますが、一度に全ての演目を紹介することができませんので、いくつかに分けて紹介します。

ここは、その3です。

21.崎山節

西表島西部には崎山という湾があります。この湾の近くに昭和の初期まで村がありましたが、現在は廃村となっています。波照間島民が移り住み、土地を開拓し、新しく創った村です。
八重山の唄、崎山節・崎山ゆんた・ミナトーマには、それぞれ、当時の崎山村民の、故郷を離れた悲しみ、開拓の苦しみ、それでもなんとか暮らしていこうとする意志が込められています。
崎山節の歌詞を意訳すると、「せめて島を見たいと思い、山に登ると、そこに懐かしい生まれ故郷が見える。同時に、自分と島を隔てる海によって、決して島には戻れないのだということを気づかされてしまう。悲しくて、涙がどんどん出てきて止まらず、せっかく島を見るために山に登ってきたのに、涙で見えなくなってしまう。」という感じのものです。

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22.揚古見ぬ浦節

、「揚古見ぬ浦(アギクンぬウラ)節」は、西表島・古見村の歌です。
「揚古見ぬ浦節」は八重山古典民謡の中でも、一揚調の曲では代表的なものです。

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23.長刀

長刀の舞

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24.スルックイ

スル掬い ( すくい )」 です。
スルというのは、キビナゴのことで、網を持っているのが竹富島の女2人で、天秤を持っているのが石垣島から来た男。
種子取祭を迎えるに当たって、コンドイ浜にスルを採りに行った際の、それぞれの方言でのやりとりをコミカルに描いたものです。
島の性風俗を描いた部分もあるそうですが、それを自然で明るく表現しているのだそうです。

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25.古見ぬ浦節

この歌は、大宜味長稔という目差の役人が作ったといわれています。彼は石垣島から与那国島へ行く途中、嵐で西表島の古見の浦に漂着しました。そこで美しい女性とめぐり会い、やがて出帆で2人は別れなければならなくなりました。長稔が、その別れを悲しんで作ったといわれています。

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26.かたみ節

かたみ節は、結婚式などのお祝いの席や、座開きで歌われることが多い祝儀歌です。
「琉球の馬艦船(マーランブニ)が風波の都合で久志間港に停泊しました。この際、何時しか久志間村の女と船乗りの男とは水も漏らさない慕しき仲となり、二世三世迄もと二人は深く契りました。」
この様子を首里から派遣されていた役人の黒島英任が「かたみ節」にしたそうです。黒島英任は、1732年に平久保村に赴任してきたそうですので、凡そ今から280年程度昔の歌ということになります。
久志間港というのは、石垣島の北部の平久保村と伊原間村との間にかつてあった村で、現在は廃村となっています。(現在はそのあたりを久宇良浜と言います。)

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27.サングルロ

ソングルロは、とても奇妙な姿で、黒頭巾をかぶり、長い糸で顔を隠した女性達の踊りです。ドラの音に合わせて飛び上がったり、突然止まって動かなくなったり、奇妙な動きをする特徴のある踊りです。また、最後(退場時)は、一人ひとり転がりながら舞台裏へと退場します。
踊りの由来については、人頭税時代に、年貢を逃れようと、子供が大人になっても分からないようにするためにこのような姿に扮したものの、それに対して士族らは、下着のない時代だったのでサングルロを踊らせ、転がるのを見て大人か否か見極めたのではないかということだそうです。

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28.鬼(ウン)狂言 (鬼捕り)

「仲筋地区の舞台の奉納芸能の最後、つまり種子取祭のトリを飾るは、「 鬼捕り 」 です。
「鬼捕り」は、人食鬼を生け捕りするように命令された棒術使いの武士(福仲親雲上)が、山中で、兄が人食鬼にさらわれたと、一人でしょんぼり座っていた親に捨てられた子供を発見し介抱します。その後、武士は、鬼の住む洞穴を発見し、鬼の夫婦と格闘の上、鬼の夫婦を生け捕り、無事、さらわれた子供を取り返します。そして、この捨てられた子供達を、救出した武士が自分の手で育てるという物語です。
この芸能は西表島の古見から竹富島に伝えられたとされていますが、元々は沖縄本島から伝わったもので、舞台も沖縄本島の本部山とされています。

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仲筋地区の舞台の奉納芸能も終わり、2日間に亘る奉納芸能は全て終了しました。
最後に、公民館長が挨拶をされ、午後5時20分ごろ幕を閉じました。

公民館長の挨拶です。
祭りを終えた後の様子です。

 2014年の種子取祭開催当時における竹富島の人口は347人だそうですが、島民の方々は勿論、竹富小中学校の教職員の方々、石垣島在住の郷友会の皆さんなど、大勢の人達が祭りを支えておられました。
 種子取祭も含め、竹富島の伝統文化は、竹富島民と島出身者の強い情熱と努力で支えられています。そのことを今回の種子取祭を通じて改めてよく知ることができました。できればまた機会をつくり、見に行きたいものです。

各説明書きにつきましては、その多くを「竹富島文庫T 種子取祭 」(発行:遺産管理型NPO法人 たきどぅん)、その他から引用させて頂きました。内容については、私の把握違いや意味を正しく理解していないこともあろうかと思いますので、その点はよろしくご理解のほどお願いします。
  
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