舞台の芸能2015(初日)その2  作成 2015.12.19

ここからは2015年11月11日に開催された竹富島の種子取祭の「舞台の芸能」の様子を紹介します。
玻座間村の演芸となりますが、一度に全ての演目を紹介することができませんので、いくつかに分けて紹介します。

ここは、その2です。


13.三人天川

三人が柄杓を持って楽しく踊る舞踊です。
 
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14.鶴亀節

川平で生まれた島唄で、結願祭のときにこの「鶴亀節」が歌い踊られます。「川平鶴亀節」とも呼ばれています。農業に立脚した川平の人々の、豊作を祈願し感謝する信仰心と来訪神を信じる信仰が基になって生まれた唄です。
 
 

15.世曳き狂言 ( ユーヒキキョンギン)

この踊りの特徴は那覇の首里言葉を使って演じられるところです。琉球王朝から位を授かった竹富島の豪農「大山家」のウシュマイが登場し、与人(ユンチュ)と呼ばれる役人と子どもや孫を引き連れて神様に豊作の報告をします。ウシュマイは2人の若者にお供え物を荷車で持ってくるようにと指示を出します。若者たちはゆっくり踊りながら曳きだした荷車を神前に供えます。
 
 
 
 
 

16.糸満大漁

海に生きる人々の生活の様子や大漁の喜びをエーク(櫂=かい)やバーキでダイナミックに表現した唄です。
 
 
 

17.南洋浜千鳥

名優 伊良波伊吉が南洋巡業中に古典音楽の「浜千鳥節」の曲をアレンジし、振付けたといわれる舞踊です。新しいものを積極的に取り込んだモダンな踊りとなっています。

 

18.大浦越路節

崎山ユンタで有名な西表島の崎山村と鹿川村の間を結ぶ山道が大浦越路です。現在でもまともな道はなく普通に行く事がとても困難な崎山ですが、それに輪をかけて秘境と言えるのが鹿川です。素人が簡単には入れないとても危険な山道ですが、かつては村があり、その山道を通っていました。
 
 
 

19.伏山敵討狂言 ( フシヤマティチウチキョンギン)

名君の誉れ高い主君・棚原按司を、天願の按司に滅ぼされた富盛大主は、主君の奥方と息子二人(若按司)を連れて落ちのびます。 天願の按司が本部山へ狩りに出るという噂をききつけた富盛大主と棚原の若按司は、先回りして山に潜み、天願按司一行を待ち伏せ、敵討ちの機会を狙います。 一方で天願按司は富盛大主の敵討ちをしようとしている情報を狩人から得て、狩人の案内で富盛大主の隠れ家を襲うことにします。 しかし、富盛大主と棚原の若按司は、天願按司と臣下を見事に討ち取り、敵討ちを果たします。

この伏山敵討狂言は、寄り足(ゆいあし)と呼ばれる特殊な足使いに加え、華麗な踊り、按司方と大主らとの大立ち回り・殺陣など、見どころ満載です。 観客を巻き込んだ滑稽な演技に拍手や歓声がわき起こります。

棚原按司です。 棚原の若按司です。
  こちらは天願の按司。敵討ちの相手となります。
天願按司とその臣下たちです。
天願按司たちは狩人からの情報を入手します。 迫真の演技に観客から大きな歓声と拍手が送られます。
 _ 棚原の若按司と天願按司の臣下との闘いです。
  富盛大主と、天願按司の臣下との闘いです。
富盛大主と、天願按司との闘いです。 天願按司は切られても切られても立ち上がります。
最後の殺陣です。 見事に敵討ちを果たし、演技が終わります。
 

20.まんのう

調査不足で詳細は不明です。
 
 

21.桃里節

桃里村は、石垣島の北東部、市街地から18kmほど離れた所にあった村です。土地が肥沃であった為、蔵元政庁は、享保17(1732)年に880人で村を創建しました。しかし、明和の大津波(1771年)で、200人以上が溺死し、また、過酷な人頭税とマラリアの為に人が減っていき、大正3(1914)年についに183年の歴史で廃村になってしまいました。
この「桃里節」は、悲惨な歴史を辿った桃里村ですが、一時的にでも繁栄していた時期があり、その時に歌われた歌です。歌の中の「空岳:カラ岳」は、桃里村の西南方向にある山です。樹木が一本も生えない禿山である為にその名がつけられました。そこに登ると村の田畑が一望でき、収穫時期には黄金色の稲穂がゆれて、素晴らしい眺めだったに違いありません。
廃村となった1914年から39年後の昭和28(1953)年に琉球政府が沖縄本島の大宜味村から135名の開拓移民を募り、大里村と改名し桃里村は復活しています。
この歌を歌うときは、島人たちは「桃里村の繁栄」を自分たちの住んでいる村の繁栄に置き換えて、それがいつまでも続きますようにとの願いを込めて歌ってきたのだと思われます。

 
 
 

22.ゆんたしょーら

八重山の言葉で「ゆんた」は労働歌のことを指します。
「ゆんたしょーら」とは、「ゆんた」を「しょーら」(呼びかける言葉)、つまり、「歌を唄いましょう」という意味です。
 
 

23.組長刀

東集落婦人部による「組長刀」です。
 
   

24.ペーク漫遊記

「ペーク漫遊記」は戦前から演じられていたものの、一旦途絶えてしまい、昭和54年に復活したとのことです。
芝居の内容は、大豊作となった年に村頭が、在番を招待して祝宴を開いた際、この祝宴で踊った2人の踊り子のうち大名屋のカンチという若い娘を在番が気に入ってしまいます。在番はカンチを自分のものにしようとしたものの、カンチには新城という婚約者がいたことから、在番の申し入れを拒否しました。しかし、在番はそれを許しません。
ある時、二人が密会しているのを在番が発見し、カンチの婚約者の新城に島流しを命じました。 そして、この新城を乗せて船出しようとしたところに、首里王府からペークという役人がやって来て事情を聞き、在番の悪行を戒めます。 ペークの存在を知らなかった在番がそれに気がつき、平身低頭して自分の悪行を詫びるといったものです。

この漫遊記は、沖縄歌劇の流れを汲むものだそうです。
「ペーク漫遊記」は、若いカップルの仲を引き裂こうとする役人を、もっと偉い役人が懲らしめるという、分かりやすいストーリーです。

2人の踊り子が在番の前で踊ります。 在番を招待しての祝宴です。
二人が密会しているのを在番が発見し咎めます。 婚約者の新城を乗せて船出しようとしているところです。
そこへペークが登場します。
ペークが在番の悪行を戒めます。
在番は平身低頭して自分の悪行を詫びます。 また一緒になれた二人は喜びあいます。
  
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