八重山のフクギ(福木)  更新 2020.10.10

今回は地図の修正を行いました。

 フクギ(福木)は、オトギリソウ科フクギ属の樹高10〜20mになる常緑高木で、原産地は、台湾、フィリピンです。葉は対生で、長楕円形または卵状楕円形で長さは8〜14cmになります。雌雄異株で、花期は5〜6月で、1.5cmほどのクリーム色の5弁花を葉の付け根に咲かせます。果実は直径3cm程度、3〜4個の種子を含む液果で黄色く熟し、ヤエヤマオオコウモリ等の餌となります。
 真っ直ぐに生え、幹が丈夫で葉が密に付き、風害や塩害に強いことから防風林とされたり、耐火性があることから屋敷林として植栽されています。

 ここでは、八重山で長年防風林や屋敷林として利用されてきたフクギの巨木を紹介します。
 

No.  名   称  場 所
 1.  川平・波照間家のフクギ屋敷林  石垣島
 2.  伊原間の屋敷林と喫茶店  石垣島
 3.  玻座間御嶽のフクギ  竹富島
 4.  旧与那国家のフクギ屋敷林  竹富島
 5.  勢頭家の屋敷林  竹富島
 6.  嘉保根御嶽の兄弟フクギ  小浜島
 7.  仲山御嶽の小浜島最大のフクギ巨木  小浜島
 8.  干立集落最大のフクギ巨木  西表島
 9.  崎山家屋敷跡のフクギ巨木  西表島
 10.  祖納集落最大のフクギ巨木  西表島
 11.  大石御嶽(ブイシワー)のフクギ巨木  波照間島
 12.  新本御嶽(アラントゥワー)のフクギ巨木  波照間島
 

地図1(石垣島)


1.川平・波照間家のフクギ屋敷林

道路拡張でフクギ並木の左側にあった石垣が右側に移動されています。手前の最初の木が1778年に植栽されたものと推定されます。  これは反対側からの光景。
 
     
左に見えるのは波照間家の赤瓦の屋根。右側がフクギ並木です。   さらに奥側(西側)のフクギ並木。合計8本のフクギが残されています。このうち樹齢が200年を超えるものが計4本あります。
     

地図2(石垣島)

2.伊原間の屋敷林と喫茶店

 フクギは「たいらファミリー」の屋敷林や建物の一部として活用されています。この屋敷林で最も古いのはこの道を左折した道路沿い(屋敷の東側)にあるもので、1781年に植栽されたと推定されます。(左の樹高の高い木:詳細写真無し)    写真のフクギの木の奥(左側)は喫茶店・食堂となっていて、フクギの木がうまく活用されています。この木は、最も古い木よりも3〜40年若いと推定されます。
 

地図3(竹富島)


3.玻座間御嶽のフクギ

玻座間御嶽の鳥居の近くにある1753年に植栽されたとされる♂のフクギの巨木(写真左端の木)   御嶽西側からの光景(写真中央、右側の木)。
     
更に西側にある竹富島最大のフクギの巨木。   この木は1729年に植栽されたとされる♀の巨木。もしかすると前述の木(鳥居左側にある木)の親木かもしれません。
 

4.旧与那国家のフクギ屋敷林

竹富小中学校の東側に位置する旧与那国家は、竹富島の近代の住居形態と生活様態を理解する上で高い価値があるとして2007年12月に国の重要文化財に指定されています。   このフクギ屋敷林で最大のものは母屋後方の豚舎の横にある♂の木で、1832年に植栽されたものと考えられています。写真中央手前の幹が白色の木です。
 
     
中央は、「オーシ」と呼ばれる豚舎(豚小屋付便所)です。写真右側の木々がフクギで、その左端の木が旧与那国家の屋敷内で最大のものです。   左端の木が旧与那国家の屋敷内で最大のものです。
 
     
母屋の右側(東側)には、手入れのされた美しいフクギ屋敷林があります。   これは屋敷の裏手側から見たフクギ屋敷林。 
 

地図4(竹富島)

5.勢頭家の屋敷林

元々は勢頭家(写真左手の家屋)の屋敷林として屋敷囲いの中にあったものの、道路拡張で屋敷囲いの石垣を屋敷側に移動させたため、フクギが孤立する形となってしまいました。   この道路沿いには「竹富島の民家」の標示板が立てられています。
     
4本あるフクギのうち最も古いのは南側(写真左手前)から2番目のもので、植栽されたのは1798年とされます。この木は旧与那国家のフクギよりは古く、玻座間御嶽のフクギよりは若いものです。   この道路北側の奥の突き当りの屋敷(前泊家)には通称「喋るリュウキュウコクタンの木」があります。写真中央の木です。
 

地図5(小浜島)

6.嘉保根御嶽の兄弟フクギ

 拝殿に向かって左側に6本、右側に2本のフクギの巨木が立っています。いずれのフクギも♂です。
境内にはテリハボクの大木も立っています。
   拝殿に向かって左側の手前から2番目の木(カンドゥラ石裏側)が、この御嶽で最も古く1815年に植栽されたと推定されます。他はいずれもこれより若いと推定されます。拝殿に向かって左側の手前から1番目と2番目の木は、根元が合体したかのような姿で向き合っています。
 
 

7.仲山御嶽の小浜島最大のフクギ巨木

御嶽への入口の様子です。ここを下ると自然の水路があり、拝殿と広場の間が分けられています。写真中央に手前側の鳥居が見えます。   広場の正面奥に小浜島最大のフクギの巨木が立っています。
 
     
少々分かりづらいかもしれませんが、写真中央の木が小浜島最大のフクギの巨木です。植栽されたのは1722年と推定され、「明和の大津波」の中を生き抜いてきたと思われます。    これは奥側の鳥居と拝殿の遠景です。
 

地図6(西表島)

8.干立集落最大のフクギ巨木

この木は、ムトゥ御嶽の参道沿いの屋敷林として植えられたもので、1718年に植栽されたと推定され、1771年の「明和の大津波」も生き抜いてきたと思われます。王府時代にフクギが計画的に植えられていく時代よりも更に前に植えられたものです。現在西表島で確認されているフクギの中で最大の巨木です。   ムトゥ御嶽は干立で最も古く、格が高いと言われている御嶽です。ムトゥ御嶽は金座山(カナザヤン)にあり、周囲はヤエヤマヤシの林となっています。

地図7(西表島)

9.崎山家屋敷跡のフクギ巨木

このフクギは節祭で執り行われる前泊御嶽の北西側の高台にあります。現在は空き屋敷となっていて屋敷の東側にフクギ並木があります。 ここで一番古いのは写真中央(西端)の木で、1776年に植栽されたと推定されます。   これは反対側(陸側)からの眺めで、右側にフクギ並木が見えます。マルマボンサン(一部)も正面に見えます。
 

10.祖納集落最大のフクギ巨木

ピサダ道の登り口の右側2軒目の屋敷内にある♂のフクギの木が、祖納で最も大きな木です。ピサダ道を上ると慶来慶田城翁屋敷跡の碑が立っています。その奥には慶来慶田城があります。 このフクギは1754年に植栽されたと推定され、1771年の明和の大津波も生き抜いてきたと思われます。
 
     
 樹上の幹からは多くの枝が分かれています。    同フクギの遠景。

地図8(波照間島)

11.大石御嶽(ブイシワー)のフクギ巨木

 診療所斜め前の大石御嶽の全景。手前の大木がフクギ。    北側からの光景。手前の建物が拝殿で、左奥がフクギ。
     
イビの左側(東側)にある1本のフクギの♀の巨木。イビに入る赤瓦の門は神司以外は入れません。    このフクギは1761年に植栽されたと推定されています。

12.新本御嶽(アラントゥワー)のフクギ巨木

新本御嶽の周囲(石垣の内側)には多くのフクギを見ることができます。   新本御嶽の入口の光景。手前左手にも大きなフクギがあります。根元が浮き上がり、周囲にはオオタニワタリが着生しています。
 
     
この御嶽で最大のフクギは拝殿の向こう側、写真の中央にあるものです。(ちょっと分かりづらいかもしれませんが…)このフクギは割と若く、1823年に植栽されたと推定されています。   イビ門と周囲のフクギの様子。イビに入る赤瓦の門は神司以外は入れません。
 
 
(注)  本頁におけるフクギの植栽年は、「おきなわ福木物語-琉球王朝時代から脈々と生きる-(解説:仲間勇栄)[公益社団法人 沖縄県緑化推進委員会]」の記事を参考にさせて頂きました。

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