竹富島の石碑・説明看板 (東集落・北&東)  更新 2022.08.21

今回は、No.7の内容の更新と写真の入替えを行いました。
(なお、御嶽の説明看板については、竹富島の御嶽のページを参照下さい。)


No. 名 称 場所
1. フナヤー跡 東港
3. 竹富島観光案内マップ ホーシミチ
5. 根原金殿の碑 ミシャシミチ
7. 新里村遺跡* 北岬近辺
9. ミーナ井戸 東集落東
11. 「アイヤル浜」の説明看板 アイヤル浜
13. 放送台 東集落
15. 啓蒙台* 東集落
17. 敬老席 東集落
19. 仲筋井戸(ナージカー)* 東集落
21. 凱旋記念碑 東集落
23. 「西塘御嶽」の説明碑 東集落
25. 竹富島憲章* 東集落
27. 山城善三先生の碑 東集落
29. 環境保護と文化の継承 東集落
No. 名 称 場所
2. 健康モデル指定地区標示塔 東港
4. 仲盛清翁顕彰碑 ホーシミチ
6. ハナックンガー花城井戸 ミシャシミチ
8. 「美崎御嶽」の説明看板 北岬
10. 「ナーラサ浜」の説明看板 ナーラサ浜
12. 「スンマシャー」の説明看板* 東集落
14. 「與那國清介翁」の碑 東集落
16. 酒造所跡の碑 東集落
18. 「清明御嶽」の説明碑 東集落
20. 崎山毅先生の記念碑 東集落
22. 島守りの神 西塘様の碑 東集落
24. 「竹富町 竹富島」の説明看板 東集落
26. 竹富町民憲章 東集落
28. 平和の鐘 東集落

地図1 (郊外)


1.フナヤー跡

フナヤー跡 説明板

フナヤー跡

かつては舟待ちをするための小屋、
フナヤーでした。屋根は藁葺き。
寒い日は屋根の藁を下ろして暖を
とっていいことになっていました。
来る人にも行く人にも待つ人にも
やさしい、フナヤーはそんな場所
でした。フナヤーの精神を受け継ぐ
ビジターセンターはすぐそこです。
一休みしていきませんか?

 竹富島ゆがふ館
フナヤー跡 遠景
写真右手の石積みがフナヤー跡です。
この説明板は「竹富島ビジターセンターゆがふ館」の入口にあります。

2.健康モデル指定地区標示塔

健康モデル指定地区標示塔
竹富町字竹富
健康モデル指定地区

1970年3月
標示塔 遠景
この塔は竹富東港のフナヤー跡の反対側(集落に向って左手)に建てられています。

3.竹富島観光案内マップ

竹富島観光案内マップ


「賢くさや打つ組みどぅ勝る」とは、「協同一致の精神は、一人の人の智慧に勝る」という意味で、竹富島の精神ともいえるものです。

コンドイ浜は、八重山で最も名高い海水浴場で、「潮がれ浜」として知られています。
夏場になると、白い砂浜、きれいな海、輝く太陽、心地よい潮風とその香りを求めて、本土からの観光客が押し寄せて来ます。

竹富島観光案内マップ

竹富島
島全体が西表国立公園に含まれ、集落は重要伝統的建造物群保存地区、種子取祭は重要無形民族文化財、ミンサー、上布の織物が伝統的産業品というように多くの国指定をもつ。
周囲が約9キロメートルという小さな島だが、偉人西塘の遺訓とされる「賢くさや打つ組みどぅ勝る」という言葉を現代に生かしている。

1.ビジターセンター
国立公園に環境庁が作る施設で、館内はテーブルサンゴ、エダサンゴ、キクメイシ、貝類の実物で海中景観が再現されている。サンゴ礁の島の成り立ちや、サンゴの分類も分かりやすくパネルで展示されている。またタキドゥングチ海中公園利用者のために、シャワー、トイレ等の施設も整備されている。

2.喜宝院蒐集館(きほういんしゅうしゅうかん)
日本最南端のお寺、喜宝院の開設者である故・上勢頭亨が子供のころから50年かけて集めた民俗資料、約4000点を展示している。無学な人達が記録、計算に用いたワラサン等の人頭税関係の資料や古貨、染織、民具類等に見るべきものが多い。小さい島ながら奥の深い竹富島の歴史と文化を知ることができる。

3.安里屋クヤマ生誕の家
沖縄の代表的な民謡「安里屋ユンタ」にうたわれた、美人クヤマの生家。
過酷な人頭税の時代に、横暴な役人の求愛を拒んだ気骨ある女性としてたたえられている。

4.西塘御嶽
西塘は明応9年(1500年)に起こったオヤケアカハチの乱後、首里王府に仕え園比屋御嶽(ソノヒャンウタキ)や首里城壁の建設等に才能を発揮した。大永4年(1524年)に八重山の頭職として任ぜられ、生地竹富島に蔵元(行政府)を設置して八重山全域を統治した。島守りの神として、墓所が御嶽(拝所)となって崇拝されている。

5.民芸館
昭和47年(1972年)に沖縄の復帰記念事業として建設された。竹富島は伝統的に染織の盛んな所で、ミンサー、上布、芭蕉布、染織物等がつくられてきた。今でも技術の向上、継承を図るために講習会や展示会が開催されている。普段は実演も見学できる展示即売の工房として解放されている。

6.ンブフル展望台
島のほぼ中央に位置する高台で、東・西・仲筋の三集落を分けている。周辺からは14~16世紀頃の遺物が発掘され、渡来集団の伝説もある。
東に石垣島、西に西表島、小浜島、黒島等が望めるところから、往時の有力者の根拠地だったことも考えられる。

7.コンドイ浜
竹富島で唯一の海水浴場で、数百メートルにわたってサンゴの白い砂浜が続く。シーズンには多くの海水浴客で賑わうが、遠浅なので干潮時には泳げない。サンゴ礁の海流は複雑なので気を付けて下さい。西表島に沈む夕陽は壮大で美しい。ただし、島内ではキャンプ、野宿等は禁止ですのでご協力下さい。

4.仲盛清翁顕彰碑

仲盛清翁顕彰碑 碑文
(上段)
仲盛清翁顕彰碑

(下段)
碑文
仲盛清翁は竹富島の神司仲盛家に生を承けて育ち島守
りの神である六山、八山の御嶽を信仰するは勿論敬神
宗祖の念厚く又愛島心に富み歳八十を過ぐるも斯道に
尽された功績は数限りなく続いた時正に大東亜戦争の
勃発と終戦を迎えるに伴い時代の流れは人口の過疎化
が進み竹富島の畑地は荒廃し各地に散在する祖先墓は
ギンネム林に被れ墓参困難となりつ々あることに痛く
心を悩まされ自己の所有地である田真原の原野地番二
三一五、面積二反六畝二歩を墓地として東支会に寄贈
され墓地の集結を図られた斯の如き遺徳は後輩をして
祖先宗拝の念を深からしめ、こよなく島を愛せしむる
ものであり教育に及ぼす影響誠に大なるものがありま
す仍ってこ〃に翁の遺徳を永く後世に傳えるため顕
彰の碑を建立する所以であります。
 明治二十一年十一月五日生
 昭和四十七年十一月五日
 板石寄贈西盛洋光
 碑文起草と揮毫西盛佳美
 碑建立者竹富東支会
仲盛清翁顕彰碑

この碑は集落から東桟橋へのホーシミチの東側にあります。

5.根原金殿の碑

根原金殿の碑
島の主玻座間村の
大親戊子の種子取祭を
仕立て始めた
     根原金殿

また、碑の奥には
根原金殿之墓標
と記された立派な新しい墓が建てられています。
碑 遠景
同遠景

この碑は、ミシャシミチのほぼ中間点の東側にあります。
(碑は写真左手)

6.ハナックンガー(花城井戸)

ハナックンガーの碑
はなすく井戸
ハナックンガー
ハナックンガーは、竹富島最古の井戸とされ、次項に示す新里村遺跡内にあります。

水を通しやすい琉球石灰岩の下に、硬く水を通しにくいチャート層があるため井戸が出来ました。

7.新里村遺跡

新里村遺跡の説明看板
竹富町指定史跡 新里村遺跡(しんざとむらいせき) 
                    平成3年9月11日指定

本遺跡は「花城井戸(ハナックンガー)」という井戸を中心に、その東側と西側に広がる集落遺跡で竹富島の集落の発祥の地といわれています。
昭和61年度・62年度に沖縄県教育委員会による発掘調査が実施されましたが、遺跡からは竹富島で焼かれたと考えられる外耳土器や壺形土器等の大量の土器をはじめ、中国製陶磁器(白磁碗、青磁碗、褐釉陶器)、須恵器、鉄鍋、鉄製のヘラ、刀子(小刀)が出土しています。
これらの出土遺物から井戸の東側は12世紀末~13世紀、井戸の西側は14世紀に形成された集落であることが明らかになりました。
井戸の西側の14世紀の集落には当時の石積が残っておりますが、その石積で囲まれた各屋敷と屋敷は互いに通用門(出入口)で結ばれていて、集落の中に道が見られないことから、現在の集落とは異なった形態であったと考えられ、竹富島の集落の変遷を知る上で貴重な遺跡となっています。
  

Taketomi Town Designated Historic Site
Shinzatomura Historic Ruins
Date of designation ; September 11,1991

This site extends to the east and west from a well known as "Hanakunga" and is said to have been the birthplace of the village communities that developed on Taketomi island. In 1986 and 1987 the Okinawa Prefectural Board of Education conducted excavations of this site. Discoveries included a large number of earthenware pieces, such as vase-shaped vessels and vessels with ear-shaped handleds that are believed to have been fired on Taketomi island.
The site also yielded Chinese ceramic ware (white porcelain bowls celadon bowls), unglazed ceramics, iron implements such as pots and spatulas, and tousu (small knives). It became apparent from these artifacts that the village on the east side of the well was established some time between the 12th and 13th centuries, while the west side village came about in the 14th century.

In the 14th century village are stone pilling dating to that period. Houses that were surrounded by those pillings were connected to eaach other by side gates. It is belleved bellieved that since there were no roads in the village at that time, the layout of the village was cifferent from that of its successor. It is thus a valuable archaelogical site for understanding the evolution of villages on Taketomi island.

(以下省略)

根志原(ニシャール)と大舛原(ホーシ)にまたがる新里村遺跡は、タカニドゥンが掘ったと伝えられている花城井戸(ハナックンガー)を中心にした集落です。現在の集落形態と異なり、竹富島の集落の変遷を知る上で貴重な学術的価値のある遺跡です。平成3(1991)年、竹富町の史跡に指定されました。

新里村遺跡の旧説明看板
(参考) こちらは旧説明看板です。現在は撤去され前項の看板に取り換えられています。

竹富町指定史跡 新里村(シンザトムラ)遺跡 平成3年9月11日指定

本遺跡は「花城井戸(ハナックンガー)」という井戸を中心にして、その東側と西側に広がる集落遺跡で竹富島の集落の発祥の地といわれています。
昭和61年度・62年度に沖縄県教育委員会により発掘調査が実施され、遺跡からは大量の土器をはじめ、中国製陶磁器(白磁碗、青磁碗、褐釉陶器)、須恵器、鉄鍋、鉄製のヘラ、刀子(小刀)が出土しています。
これらの出土遺物から井戸の東側は12世紀末~13世紀、西側は14世紀に形成された集落であることが明らかになりました。
井戸の西側、14世紀の集落には石積みが残っており、その石垣で囲まれた各屋敷と屋敷は通用門(出入口)で結ばれていて現在の集落とは異なった形態をなしています。

  [地図]
 竹富町教育委員会
新里村遺跡入口

新里村遺跡
新里村遺跡は、集落の北方、イシャーグチ沿いの両側にあります。

写真(2022.7撮影)では遺跡の大半が夏草で覆われていますが、石垣も散見されます。

8.「美崎御嶽」の説明看板

美崎御嶽の説明看板
美崎御嶽(ミシャシオン)
美崎御嶽は航海安全・海上平安の
神として崇められています。
島の人々が、旅に出たり、帰って
きた時に祈願をしたり、感謝をする
御嶽です。
この先のミシャシ海岸は、かつては
島の主要な港として、大正年間頃ま
で使用されていました。今もガンギ
(桟橋)跡が見られます。

御嶽は神聖な場所なので、むやみに
立ち入らないでください。


Mishashi On is a deity of peace and safety at sea. Here islanders offer a prayer when setting out on a journey, and give thanks upon their return. At Mishashi, the coast beyond the On, there used to be a major island port that was used until the early 20th century. The remains of the gangi (pier) can still be seen there. The On is a sacred and is generally off-limits to visitors.
美崎御嶽 拝殿
美崎御嶽前の海岸

ガンギ(桟橋)跡などが残っています。

9.ミーナ井戸

記念物 ミーナ井戸
 ミーナ井戸
 ここを下った谷間に泉があった
往昔島人は この泉を飲料水として
用いたと伝えられている。
標柱
記念物ミーナ井戸
(右面)
竹富町教育委員会
(裏面)
建設昭和四八年二月二八日
(左面)
指定昭和四十七年八月三十日
由来の碑
(正面)
天降りめをと井戸ミーナカ
マリツ女神ソコツ男神
此の岩屋に住み岩の底を掘りて
●所の清水を湧かしめて使用された
これが竹富に初めての泉である
これ以来この井戸に降りる時は
二神への合図として小石を二個
投下して井戸水を使用する
習慣になっている(伝説記)
(裏面)
一九六四年八月十二日建立
株式会社竹富牧場


この碑の前には、青い陶製の香炉が置かれています。
史跡指定の碑
竹富町指定史跡 ミーナ井戸(カー) 
                       昭和47年8月30日指定
ミーナ井戸(カー)とは、神の見つけた井戸という意味で、この井戸には次のような言い伝えがあります。

大昔、天降りの女神マリツがこの岩屋に住んでおり、人知れず一生懸命に清水の湧き出る水脈を探す仕事をしていました。ある日、それを知ったソコツ神が北と南に分かれて岩を掘り、北の泉はマリツ、南の井戸はソコツの夫婦泉になりました。これが竹富島の井戸の始まりといわれています。後に久間原御嶽(クマーラオン)の神、久間原発金(クマーラハツンガニ)が久間原集落の井戸として使用してきたことから、現在では久間原御嶽の神司がこの井戸の願いを行なっています。

Taketomi Town Designated Historic Site
MInaka (Minaka Well)
Date of designation : August 30, 1972

The name "Minaka" means a "Well found by a god." The following story of this well has been passed down through folklore and legend.

Long ago, Maritsu, a goddess who descended from heaven, lived in a cave. Unnoticed by all, she worked hard to find a freshwater spring. One day, another god named Sokotsu found out about this and he and Maritsu set about digging separately through the cave's bedrock, to the north and south. Maritsu found a spring in the north, while Sokotsu found a well in the south. These came to be known as maeto sen (husband and wife springs) and are said to be the origin of all well on Taketomi Island. Since the well eventually came to be used by Kumra Hatsungani, the god worshiped at Kumara On (Kumara sacred site), as the well of Kumara Village, rituals are performed at the well by Kantsuka (shamans).

【以下省略】

これがミーナ井戸で、ウリカー(下り井戸)です。
これらの碑は、集落からアイヤル浜に向かう道の傍(右手側)にあります。

10.「ナーラサ浜」の説明看板

ナーラサ浜の説明看板
西表国立公園 ナーラサ浜
サンゴ礁で出来た竹富島では、白く美しい砂浜を見ることができます。この砂浜は、波で砕かれたサンゴのかけらや死んだホシズナの殻など、サンゴ礁の海にいる生き物の遺骸でできています。海がエメラルドグリーンに見えるのはこの白い砂の影響によるものです。
そして古くから島では、これらの白い砂を集落の道にまいて利用してきました。道にまかれている砂は、粒の大きさからキトッチ浜の砂が最も適していると言われています。砂を手にとって比べてみましょう。

ホシズナ(学名:Baculogypsina spbaerulata)
サンゴ礁の海に生息している動物です。「有孔虫」という名の通り、殻の表面には多数の小さい穴があり、その穴から糸状の偽足を出し、岩や海藻にくっついています。サンゴ礁をつくっているサンゴの仲間と同じように、体内に藻類が共生し光合成を行っています。

Narasa Hama (Narasa beach)
Taketomi is a coral reef island with beautiful white beaches. Narasa Hama consists mostly of sea creature’s remains from the coral reef, including foraminifer shells (baculogypsina sphaerulata) and coral sand (formed by waves washing over dead and gradually breaking it down into sand). The sea looks emerald green because of the effect of this white sand.
Since olden times, the people of Taketomi have scattered this white sand on the village streets.
The sand from Kitocchi beach is supposedly the best for spreading over roadways, because of the size of its grains. Why not pick some up yourself and compare ?


 環境省 平成16年度
ナーラサ浜

ナーラサ浜は、集落の東部、アイヤル浜のほぼ北側に位置します。

11.「アイヤル浜」の説明看板

アイヤル浜の説明看板
西表国立公園 アイヤル浜
一年中花の絶えない竹富島は、チョウの島でもあります。
天気の良い日に、アイル浜へ続く道、海岸の防潮林沿いを歩くと、チョウに出会えるはずです。網を振り回したりせず、そばまでやってくるチョウを静かに眺めるのが竹富島流のチョウの楽しみ方です。

オオゴマダラ
日本最大のチョウです。オオゴマダラの幼虫は天敵から身を守るため毒のあるウライカガミを食べて育ち、成虫もこの毒を利用して身を守ります。竹富島の方言では、フーシュフーシュカビラと言います。

リュウキュウアサギマダラ
アサギマダラに比べて、白い斑点が細かく、青みを帯びています。防潮林の中や海岸でよく見かけます。幼虫は天敵から身を守るため毒のあるツルモウリンカを食べて育ち、成虫になってもこの毒を利用して身を守ります。

スジグロカバマダラ
竹富島で一番よく見かけるチョウです。オレンジ色の羽に黒いすじ模様があります。幼虫は毒のあるリュウキュウガシワの葉を食べて育ち、成虫になってもこの毒を利用して身を守ります。

ツマベニチョウ
前羽の先がオレンジ色をしたチョウです。幼虫はギョボクの葉を食べて育ちます。ギョボクのあるところでは、このチョウが何頭も集まっているのを目にすることがあります。このチョウは竹富島のチョウとされています。

シロオビアゲハ
防潮林でよく見かけているチョウです。名前の由来は、黒い体に白い帯があるところです。メスの中には、後ろ羽に赤い斑紋をもつものもいます。幼虫はミカンの仲間のシークァーサーやサルカケミカンの葉などを食べます。

Aiyaru Hama (Aiyaru beach)
Taketomi, which has flowers in bloom all year round, is, naturally, an island of butterflies.
As you walk along the path leading to Aiyaru Hama and along the coast on a sunny day, you are sure see some butterflies.
It is the island way to appreciate the butterflies by calmly watching them flutter close to you without trying to catch them in a net.


 環境省 平成16年度
アイヤル浜

アイヤル浜は竹富島の東にある浜で、ここでも星砂を見ることができます。

地図2 (集落内1)

12.「スンマシャー」の説明看板

スンマシャーの説明看板 (東集落)
スンマシャー(東集落)
スンマシャーとは集落の入り口に巨木とそれを取り囲むように石垣を積みまわしたものです。風水思想に基づく集落作りの現れの一つで、病魔や凶事が集落に進入するのを遮るために設けられています。また、ここからが生活の場という目印ともいえます。
-守ってほしいこと-
一、自分の出したゴミは自分でお持ち帰り下さい。
一、集落内は水着などで歩かないで下さい。
一、宿泊施設以外での宿泊は禁じられています。
一、御嶽は神聖な場所です。中へは立ち入らないないようにしてください。

Summasha
The Summasha is a gigantic surrounded by a stone wall that usually stands at the entrance to a village.
Following the principles of feng shui, it is intended to keep out disease and evil and it also marks the beginning of the village.
Please keep the following rules in mind
Do not litter, please dispose of your trash property.
Refrain from walking around the village in swimwear and other revealing clothing.
Staying the night at places other than accommodation facilities (i.e. camping on the beach, etc.) is strictly prohibited.
The On is a sacred space, and is off-limits.


 環境省 平成19年度

竹富ではスンマシャーですが、石垣方言ではチィンマーセーと呼ばれます。
スンマシャーは、道路を曲げたりY字型にしてつくられています。なお、集落から西桟橋への途中には西のスンマシャーがあります。
東のスンマシャー
東のスンマシャーは、港からデイゴ並木のホーシミチを通って、集落の入り口にあります。

13.放送台

放送台の碑
(裏面)
一九五一年八月二十八日竣工
総工費 二万円
工事担当 東壮年会
石工 赤山真津
長堂保久利

放送台

放送台は、竹富郵便局の西側にある高さ5mほどの石灰岩を積み上げたものです。

14.「與那國清介翁」の碑 (八十八歳之胸像)

碑文
略歴
一 明治三十四年十一月二日竹富島に生れた
二 産業文化の基盤整備に盡力した

三 織物民芸品の振興功労者として
 沖縄県知事より表彰を受けた
四 民俗芸能保持者師匠として活躍した
五 竹富町教育委員長竹富小中学校PTA
 会長を長年務め人創りに専念した
六 竹富部落会長區長民芸館長牧野組合
 長等長期歴任 かしくさやうつぐみど
 まさる 精神を樹立した
七 竹富町町会議員選挙管理委員長として
 活躍した
八 内閣総理大臣より叙勲瑞宝章の
 栄誉に輝いた
    父の偉業を讃え米寿の年を
    心より喜び茲に胸像を建立す
  一九八十八年(昭和六十三年)一月八日
         子孫一同
「與那國清介翁」の像

この碑は、東集落の東側・郵便局近くにあります。個人で建てられたものと思われます。

15.啓蒙台

啓蒙台

この碑は、友利レンタサイクルのお店の左斜め前に建てられています。
(正面)
大正八年(巳未) 五月三十日
啓蒙臺
高等小学校設立記念

(右面)
大山真津交友会寄奉
(裏面)
あずま会20周年記念事業於修復
昭和60 (乙丑) 5、12


東パイザーシ御嶽の手前の小高い敷地に建てられている碑です。大正8(1919)年、竹富尋常小学校への高等科併置を記念して建立されました。向学心に燃えながらも経済的な理由で石垣に渡れられない人達が地元で学べるよう高等科の設置を陳情し、それが実現したことを記念したものです。その後、この高等科併置を機に各島々の小学校にも同科が併置されました。

16.酒造所跡の碑

酒造所跡の碑
昭和二十一年六月
酒造所跡
副島一二
副島ひさ



この碑は、竹富小中学校・校門のすぐ北側の道の、東側すぐそばにあります。
この碑がどういった云われのものかは、よくわかりませんが、現在では、竹富島に酒造所はありません。

17.敬老席

敬老席の碑
(正面)
  敬老席
(右面)
  在郷軍人建設
(左面)
 大正八年九月十八日竣工


 この碑は、清明御嶽敷地東側(竹富小中学校北側)に設置されています。

18.「清明御嶽」の説明碑

「清明御嶽」の説明碑

同 遠景

清明御嶽


この説明碑は、清明御嶽への道のそばに設置されています。
清明御嶽(マイヌオン)
Mainu On


清明御嶽には、島造りの神シンミンガナシ、石垣島のオモト岳の神の二神が祭られています。竹富島の伝承によると、竹富島を造ったシンミンガナシは、山造りの神であるオモト神と協力して石垣島を造り、さらに八重山の島々を造ったとされています。

島の元御嶽として、雨乞いの儀式は清明御嶽で執り行われるほか、御嶽の西側の道は島を南北に貫く道であり、ナビンドーと呼ばれ神の道として大切にされています。
旧暦八月初め頃に行われる一年間の願いを解く結願祭では、清明御嶽にて「始番(シバン)」「芋掘狂言(ンープリキョンギン)」をはじめとする芸能が奉納されます。



According to legend, Taketomijima was formed by the island creator god Shinmin Ganashi. Shinmin Ganashi then built the adjacent Ishigaki Island with the help
of the mountain creator god Omoto-gami. After this, the two deities created the rest of the Yaeyama Islands together.

Both deities are worshipped at the sacred site of Mainu On, which is believed to be the first on created on the island. Ritual prayers for rain are made here, and it is also the site of the Kitsugan matsuri (festival) held early in the eighth month of the lunar calendar. At the matsuri, kantsukasa (priests) thank the deities and celebrate abundance, and traditional kyogen plays are performed as divine offerings.

The road from Kuninaka On, passing Mainu On, and continuing to Nirai Kanai, is called Aramichi.

* On are sacred sites. Do not enter. Please understand the meaning of "sacred".

19.仲筋井戸(ナージカー)

碑(右側)

(右側)

仲すぢ井戸
(左側)
昭和十二年九月改繕

このコンクリート製の2つの古い碑は、仲筋井戸の入口に建てられています。
碑(左側)
碑(両端)遠景
仲筋井戸(ナージカー)の碑


仲筋井戸遠景
仲筋井戸(ナージカー)
その昔、仲筋村の村建ての神である新志花重成(アラシバナカサナリ)が飼っていた犬が、干ばつにもかかわらず尻尾を濡らしていたことで、発見された井戸と伝えられています。島人は、正月の若水や産湯としてこの井戸水を利用してきました。
一九七六(昭和五一)年に石垣島からの海底送水が引かれるまでは、飲料水の供給源として利用されていた貴重な井戸でした。

Naji Ka(Nakasuji well)
Legend tells that Naji Ka was discovered long ago when Arashibana Kasanari's dog, (kasanari is the deity who built Nakasuji Village), was found with its tail wet, although the island was suffering from a drought. Water from this well has long been used by islandsers to give newborn babies their first bath, and as wakamizu (the first water drawn on New Year's Day).
It was also important for islanders as drinking water until 1976 when an underwater pipe was laid to provide fresh water from Ishigaki Island.


※ 現在は周囲が塀で囲われていますが、当初はウリカー(降り井戸)でした。
 仲筋井戸


仲筋井戸は島のほぼ中央、竹富小中学校の南側、水道記念碑の手前(左側)にあります。
 
地図3 (集落内2)

20.崎山毅先生の記念碑

崎山毅先生の記念碑
心から
竹富を愛し
竹富に尽くされた
崎山毅先生を
仰ぎたたえて
この碑を建つ
同 遠景
この碑は、「波照間屋敷」敷地内に建立されています。崎山毅先生は八重山保健所所長を歴任されました。

21.凱旋記念碑

凱旋記念碑
凱旋 記念碑
初泉●井
外国●人●●●●十人
旭●千代の●●●●添●

は判読のできない文字です。
碑文は、ほとんど読み取れないほど風化しています。
凱旋記念碑 遠景

この碑は西塘御嶽の前の通りを少し東に行った北側にあります。

22.島守りの神 西塘様の碑

島守りの神 西塘様
【表面】
島守りの神 西塘様

 このお嶽は島の生んだ傑材西塘を祭る西塘は明応九年(一五〇〇年)オヤケ赤蜂征討軍 大里親方一行が竹富島巡視の折 その群を抜く才能を認められ親方凱旋に際して中山王府に同伴されて法司官に仕えた
苦節二十五年の忠勤がかわれ数々の功績が報いられて
大永四年(一五二四年)西塘は八重山初代の頭職竹富大首里
大屋子に任命されて錦衣帰郷し島の南西端皆治
原に蔵元(行政庁)を創立して八重山政治の基礎をつくった
蔵元の跡は皆治原に現在も昔の俤をとどめている
国宝の指定を見た首里園比屋武お嶽の石門は西
塘の手によって築かれたものである
裏面
【裏面】
竹富壮年会建立
一九五七年一二月五日



この碑は、西塘御嶽に向って右側に建てられています。

23.「西塘御嶽」の説明碑

西塘御嶽」の説明碑

同 遠景

同 説明文


この説明碑は、西塘御嶽のそばに設置されています。
西塘御嶽(ニシトウオン)
Nishito On


竹富島の人々が敬愛する西塘は、一五〇〇年のオヤケアカハチの騒乱の際、八重山に派遣された琉球王府軍である大里大将に見いだされ、王府に仕えました。その間、園比屋武御嶽石門の建立、首里城城壁の修復や弁ヶ嶽石門の築造も手掛けたと言われており、当時の王府首里において盛んだった石造り建築の優れた技術者でした。それらの功績によって、西塘は一五二四年、八重山の頭職にあたる竹富大首大屋子に任じられて錦衣帰郷し、竹富島のカイジ浜に蔵元(役所)を置いて八重山全域を統治しました。

この場所は西塘のお屋敷でしたが、死後お墓が造られ、後に島の守り神として祀られました。ここでは、西塘大願いのほか、カンツカサ(神司)や島の有志が祭りの毎に参拝に訪れるほか、初詣や合格祈願、島民の集会所にあたる向かいのまちなみ館で開催される集会の際は、必ず西塘御嶽を参拝します。現在では沖縄県の史跡に指定されています。


Nishito is deeply venerated by Taketomi islanders as a scholar, administrator, and master stonemason.
Born on Taketomi and enshrined here as a deity after his death, Nishito came to the attention of the captain general of King Sho Shin's army during a campaign to suppress the rebellion launched by Oyake Akahachi from Ishigaki Island in 1500.
Though still a boy, Nishito so impressed the general with his capabilities that he was taken back to Shuri.

At Shuri, Nishito applied himself to his studies, excelling in both scholarship and stonemasonry.
He is said to have helped rebuild the walls of Shuri Castle and constructed the stone gate at Bengadake.
In 1519, he was also involved in constructing the limestone gate at Sonohiyan Utaki - now a World Cultural Heritage Site - where the king prayed for safe travels before each journey.

Having earned the deep trust of the king, Nishito was given the official rank of Taketomi Oshuri Oyako.
Nishito returned to Taketomijima in 1524 to become chief administrator of the Yaeyama Islands.
He constructed the Kuramoto building above Kaiji Hama (Kaiji beach) to use as his headquarters and governed from the island of his birth for two decades before his base of operations was moved to Ishigaki Island.

After Nishito's death, grieving officials built a tomb for him on the site where he had lived as chief administrator on Taketomijima.
This was then named Nishito On and made a sacred site, and Nishito was enshrined as a guardian deity of the island.
Nishito On was designated as a historical site by Okinawa Prefecture.

* On are sacred sites. Do not enter. Please understand the meaning of "sacred".

24.「竹富町 竹富島」の説明看板

「竹富町 竹富島」の説明看板 (木製)
 竹富町 竹富島
重要伝統的建造物群保存地区 昭和六十二年四月二十八日選定
選定理由「伝統的建造物群及び周辺の環境が地域的特色を顕著に示しているもの」による。
竹富島は南島文化を代表する典型的な農村集落で次のような特徴を色濃く残しています。

●家の向きがほとんど南向きで二~四軒が一区画に切られています。
●ほぼ同面積の屋敷を珊瑚石灰岩の石垣で囲み周囲は福木等の防風林でめぐらしています。
●分棟づくりの主屋(フーヤ)と別棟(トーラ)は軒の低い屋根を瓦でふき、さらに漆喰で固めています。
●門を入ると趣向をこらしたマイヤシが結界の役目を果たした白砂の庭があります。
●年二回浜から砂を運んで道と庭にしきつめる習慣があります。
「かしくさや うつぐみど まさる」と今に伝わるこの協力一致の教えについて西塘様は竹富島出身で一五二四年に八重山統治の初代頭職となった人物である。1609年薩摩藩の侵攻後住民は明治三十五年まで続いた過酷な人頭税制のもとで苦しい生活を強いられてきました。それでも元来進取の気性に富み、一方では風土に根づいた伝統文化に誇りを持ってうつぐみの島を育んできました。
竹富島の住民は「売らない」「汚さない」「乱さない」「壊さない」「生かす」を基本理念として「竹富島憲章」を制定し種子取祭(たねどりさい)等多くの伝統行事をよく守り染織等伝統技術を生かした独自の地域作りに励んでいます。
                                 文部省
                                 竹富町
説明看板 遠景
この看板は「竹富島まちなみ館」の敷地東側(西塘御嶽の南側)にあります。[東面]

また、この看板は赤山丘にある「竹富島」の説明看板の基となったものと思われます。

25.竹富島憲章

竹富島憲章の看板 (旧版)
竹富島憲章
 私達は、祖先から受け継いだ伝統文化と美しい自然環境を誇り「かしくさや うつぐみどぅ まさる」の心で島を生かし、活力あるものとして後世へ引き継いでいくためにこの憲章を定めます。
 保全優先の基本理念
一、「売らない」 島の土地や家などを島外者に売ったり無秩序に貸したりしない。
二、「汚さない」  海や浜辺、集落等島全体を汚さない。
三、「乱さない」 集落内、道路、海岸等の美観、島の風紀を 乱さない。
四、「壊さない」  由緒ある家や集落景観、美しい自然を壊さない。
五、「生かす」   伝統的祭事、行事を精神的支柱として民俗芸能、地場産業を生かす。
私たちは、古琉球の様式を踏襲した集落景観の維持保全につとめます。
私たちは、静けさ、秩序ある落ち着き、善良な風俗を守ります。
私たちは、島の歴史、文化を理解し教養を高め、資質向上をはかります。
私たちは、伝統的な祭を重んじ、地場産業を生かし、島の心を伝えます。
私たちは、島の特性を生かし、島民自身の手で発展向上をはかります。


昭和62(1987)年、国指定の伝統的建造物群保全地区や平成12(2000)年に完成した赤瓦建築のまちなみ館に調和させて作られた表示板です。竹富島憲章は昭和62年に竹富公民館の議会で議決された憲章です。この憲章は祖先から受け継いだ伝統文化や自然環境を後世に引き継ぐための保全優先の基本理念として「売らない」「汚さない」「乱さない」「壊さない」「生かす」などが記されています。
同 遠景
この看板は「竹富島まちなみ館」の敷地東側(西塘御嶽の南側)にあります。[西面:前21項の裏面です。]

この看板には、現在の竹富島憲章の基となった考え方が残されており、興味深いものがあります。

26.竹富町民憲章

竹富町民憲章
竹富町民憲章
日本最南端の町に住む私たち竹富町民は、町民としての
誇りをもち、力をあわせて住みよい豊かな町づくりへの
願いをこめ、この憲章をさだめます。
一、私たちは、島の伝統文化を守り、礼儀正しく、だれに
        も親切にします。
一、私たちは、町を美しくし、社会のきまりを守り、秩序
        正しい生活をします。
一、私たちは、教養を高め、教育を重んじ、次代をになう
        子弟の育成につとめます。
一、私たちは、青少年に夢を、おとしよりに安らぎを、健康で
        幸せな家庭、平和で明るい社会をつくります。
一、私たちは、島の特性を生かした経済の開発、文化の
        向上につとめます。
竹富町民憲章看板 遠景
この看板は西塘御嶽の向いにある「竹富島まちなみ館」入口にあります。

27.山城善三先生の碑

山城善三先生の碑
島人よ
西塘精神
うけつぎて
とわに栄えよ
われ祈るなり
山城善三先生の
御偉業を称える
や.
八重山の初代頭職西塘生誕の地蔵元創設の竹富島生れ資性温厚人格円満頭脳明晰の師範卒業当年七十七
ま.真面目と優秀を買われ母校付属訓導より累進小学校長 県視学等を歴任し教育界に献身特に郷土研究も精進
し.終戦で帰郷区長から八重山民政府土木産業部長に抜擢 また公選初代竹富町長に当選離島の福祉繁栄に努力
ろ.論より証拠の実践家で沖縄遺族連合会沖退公連沖縄観光協会を設立し専務理事や幹事等の要職で永年尽瘁
ぜん.全琉の観光事業発展の功績で運輸大臣賞日本観光協会長賞を受賞観光案内手引には英和文その他多種発行
ぞ.造詣の深さから文化財保護委員長県史編纂審議会副委員長博物館運営公園審議の役職担い著書十指に及ぶ
う.受けられた勲五等双光旭日章の光栄と偉業顕彰に胸像建立伝記御出版は久子夫人の内助の功と郷土の誇り
この碑は西塘御嶽の斜め向かい側にあります。
昭和四十九年三月建立
山城(旧姓与那国)善三先生顕彰会

(以下省略)

28.平和の鐘

平和の鐘
高那マツ八十五歳生年祝記念平和の鐘

梵鐘讃歌

この鐘の音が西塘の森から四方に鳴りわたるとき
すべての争いが止み諸人の浄き平和の祈願が叶えられ
心に理解と融和と安らぎが生まれますように
夕げにおとづれるこの鐘の音をきくとき老たる身にも
病める心にも静かなよろこびが生まれますように

この島を往き来するすべての者が安全で健やかで
楽しい日々でありますように
そしてこの世に風と光と緑と人間が久遠にあるかぎり
この島は栄え平和と愛と敬母の梵鐘讃歌が
鳴りわたりますように
               合掌

 滋賀縣愛知郡湖東町
 鑄匠 黄地佐平謹鑄

昭和四十九年十二月吉日寄進 四男 英信
                     妻  和子
平和の鐘 プレート
西塘御嶽 平和の鐘
昭和49年12月吉日
高那マツ八十五才生年祝記念
寄進 四男 英信
     妻 和子
平和の鐘
この鐘は、高那英信、和子氏によって、高那マツ氏85才生年祝記念で寄進・設置されたものです。
西塘御嶽から赤山丘(なごみの塔)向けに歩いた右側にあります。

29.「環境保護と文化の継承」の説明碑

環境保護と文化の継承の説明碑

説明文

同 英文


この説明碑は、なごみの塔近くの駐輪場内に設置されています。
環境保護と文化の継承

竹富島は、島全体が石西礁湖と呼ばれる美しいサンゴ礁の海域に囲まれ、一九七二年に国立公園に指定され、一九八七年には集落が国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されました。

美しい自然環境と文化景観で知られる竹富島ですが、種子取祭が一九七七年に国の重要無形民俗文化財に、八重山上布や八重山ミンサーの染織類が一九八九年に国の伝統的工芸品に、竹富島の伝統的な家屋である旧与那国家住宅が、二〇〇七年に国の重要文化財に指定されています。

祭祀や儀式によって育まれた情緒豊かな民族芸能や手工芸が、今もなお暮らしとともにある竹富島では、歌謡や芸能、工芸品製作、伝統的家屋の後継者の育成に努めており、環境保全と伝統文化の保存継承を地域づくりの柱にしています。こうした島の精神は、一九九八年に制定された『竹富島憲章』に明文化されているほか、二〇一九年には、法令(地域自然資産法)に基づいた自然環境の再生や保全に取り組んでいます。


Taketomi's Unique Natural and Cultural Heritage

Taketomijijma is surrounded by the beautiful coral reefs of Sekisei Lagoon. The area was designated a national park in 1972. The major part of the three villages were together designated a National Important Preservation District for Groups of Traditional Buildings in 1987.

The island is known for the beauty of its natural environment and cultural landscape. In 1977, the Tanadui matsuri(festival) was designated as a National Important Intangible Fork Cultural Property. In 1989, textiles like Yaeyama Jofu and Minsaa became nationally recognized Japanese Traditional Craft Products. The richly evocative folk performing arts and handcrafts cultivated for festivals and rituals are still part of dialy life on Taketomijima. Great effort is made to educate and train the younger generations in the island's traditios, from music and theater to crafts. Conserving the environment and preserving and passing down traditional culture are sustainable community development.

Many festivals and ceremonies are held throughout the year on Taketomijima. At the center of thhese events are sacred sites known as on. The spirit of respect for the island's gods is connected directry to environmental conservation and the preservation traditional culture.

1. Taketomijima has many visitors. Please take any rubbish home with you.
2. Do not enter areas bounded by rock walls around houses. These are the residents'private spaces.
3. The villages are where residents live their daily lives. Do not walk through villages in revealing clothes or swimwear.
4. Spending the night anywhere expect in accommodation facilities forbidden. You may not camp or sleep outside.
5. Flowers, plants, shellfish, fish, and butterflies are to be observed only, not touched. Each one is a tiny life
6. On are sacred sites. Do not enter. Please understand the meaning of "sacred"


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